あたりめを食べました
「なにか硬いものが食べたい。」
そう思い立ったのは夜の23時30分。
僕は色んなお菓子が収納してある、お菓子ボックスに手をのばした。
夜の23時過ぎにお菓子ボックスをあさるその姿は、おそらく傍から見れば、なんとも滑稽な姿に見えていたことは間違いないだろう。
何か硬いものが食べたい、そんな欲望はとどまることを知らずに、僕はお菓子ボックスをのぞき込む。
ガサガサ、ゴソゴソ。
ポテトチップス、これはサクッとした食感で、硬い感触とは程遠い。
カントリーマアム、これはクッキーの柔らかいバージョン。絶対にしっとりしている。
飴ちゃん、いや、これは硬すぎる。というか飴ちゃんは本来舐めるものだ。しかしある程度口のなかを転がしていると、少しずつ小さくなって、もういい!という謎のタイミングでガリガリと噛んでしまう。いや、僕の求めている「硬さ」とはこういう工程を経て得られるものではない。もっとこう、今僕は硬いものを食べている、という、それだけが欲しいのだ。
たとえば、ジャンキーなものが食べたいというときに、すぐにお肉にかぶりつくような、甘いものが食べたいときに、すぐにホールケーキを頬張れるような。こんなふうに需要と供給がすぐに隣にあるような、僕が求めているのはこういうのだ。
気が付いたら僕は、硬いものが食べたい妖怪と化していた。その名も「妖怪カチコチ小僧」。きっと河童もぬらりひょんも、僕を見た瞬間に逃げ出すだろう。
お菓子ボックスに穴が空くまで漁っていると、やっと望んでいたものにたどり着いた。そう、「あたりめ」だ。僕にとっては大あたりめ。誰がなんと言おうと大あたりめ。
途中に現れたポテトチップスやカントリーマアムからの誘惑に負けることなく、僕は僕を貫きとおしたのだ。人間たるもの、やはり欲というものは計り知れない。暴走した欲望に抗えるものは、この部屋には一人もいないのだ。
あたりめを握りしめ、僕は右から左へと封をあける。ちゃんと中身が入っていることを確認して、あたりめを1本、袋から取り出す。そしてそれを口に運ぶ。この間、わずか5秒。
僕はすべての思いを、あたりめの咀嚼に込めた。噛めば噛むほどに、あふれ出る旨み、そして唾液。欲望に塗れたものだけが実感できる快楽、達成感、罪悪感。それらすべてが、この咀嚼に投影される。
おいしい。あたりめっておいしい。こんな小学生の作文みたいな感想を述べて、また1本、また1本と、あたりめを消費していく。乾燥されたイカの加工食品が、僕の華麗な咀嚼によって柔らかい塊となり、胃に運ばれていく。
あたりめを狂ったように咀嚼していると、途中であることを思った。
それは「お酒が飲みたい」だった。
僕は、少し前までおつまみというものがよく分からなかった。枝豆とビールと言われても、ふーん、それは合うの?と少し半信半疑な気持ちを抱いていた。
でも最近になってようやく、もしかしたら合うのかもしれない、と思うようになった。飲み会や宴会などで飲むビールの類とは程遠いかもしれないけれど、少しだけその感覚が分かるようになってきたのだ。これはまさに成長というやつなのかもしれない。大人になったね。
しかし、お酒が欲しいといった、ささくれのような欲望は、硬いものが食べたい欲望にはかなうはずもなく、冷蔵庫に足を運ぼうとしなかった。硬いものが食べたい欲が10だとしたら、お酒が飲みたい欲は0.2くらいだっただろう。僕の左目の視力よりも小さいから大した欲望ではなかったとおもう。
あたりめを食べる時は、決まってお酒とセットで食べのが僕のなかでは定石とされている。しかし僕は、お酒を最寄り駅に設定しなった。なぜだろう?それはたぶん、本当にただ硬いものが食べたかっただけなのだろう。それ以上も以下もない。
じゃあ何でそもそも硬いものが急に食べたくなったのだろうか。夕食は普通にご飯とかお肉とか野菜とか食べた。決して豆腐やこんにゃくだけをひたすら食べていたわけではない。
硬いものを食べることによって、何か刺激を得たかったから?凝り固まった頭を咀嚼することによってほぐしたかったから?前世がイカだったから?たぶん、正解はなくて決まった答えもない。感情を切り取ってスライドガラスにのせて顕微鏡で見ても、そこに明確な答えは見えないはず。
おそらく、硬いものが食べたかったから、硬いものが食べたかったのだろう。まったくもって意味が分からない。
こんなことを考えているうちに、時間が経つにつれ、飽きてきて、そっと僕はあたりめの袋を机の上に置いた。快楽はすべて摩耗して、そこにはただただ「虚無」ができあがっていた。
ありがとう、いか。欲望に付き合ってくれてありがとう、いか。また会おう、いか。