Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

旅行


 いつも見ている景色なのに、今日はどこか違って見えた。旅から帰ってきた日は、身体に絡まる隅々の細胞たちが言うことを聞いてくれなくて、摩耗し切った肉体に残るのは猛烈な疲れと眠気しかない。次々と目の前に現れる見慣れない風景に、日常では味わうことのない唯ならぬ刺激を受けて、身体が良い意味で悲鳴を上げている。ちょっとだけ、いつもとは違う自分に出会えた気がするから、どこか遠くの場所に旅をするのはすごく好きだ。クリームパスタに添えるパセリのような、休憩時間に嗜むコーヒーブレイクのような、ふとした何気ない瞬間にするキスのような。こんなちょっぴりした気持ちよさみたいなものが、少しずつ重なって非日常に変わる。変わらない生活に光が射し込む。生活は変わらないから、また日常に戻るのだけれど、旅をした思い出は、スマホで撮った写真では語ることのできないくらい、心の奥底でずーっと光を放っている。
 旅先でいつも思うことがある。それは、ここにいる人たちは私たちと同じように生活をしていて、ここで生きているってこと。当たり前だけれど、僕にとっては当たり前じゃないように感じる。もちろん、旅をしているのも当たり前じゃないし、こうして考えを巡らせることが出来るのも当たり前じゃない。突き詰めていけば、すべてが当たり前じゃなくなる。ここにいる人たちは何を考えて毎日を生きているのだろうとか、今すれ違った人はどんな人生を歩んできたのだろうとか、こんなこと考えても、どうしようもないのだけれど、何か無意識に感じることがあって、刺激に満ち溢れた頭のなかに、ポツンと答えのない問いだけが現れる。こうして普段あまり考えないようなことを、旅先では考えることができるのも、旅行の醍醐味のひとつだと思う。自分ワールドのなかだけに閉じこもって、そこで完結してしまう変わらない毎日から抜け出すことは、決して簡単じゃないけれど、潜在意識のなかで起こる刹那的な感情を丁寧に紡いで咀嚼していくことを繰り返せば、何か少しだけ自分と毎日が変わる気がする。一番知らない自分自身を見つけ出す。こんな単純明快なこと、分かってるフリして分かってない。もっとちゃんと愛さなきゃ。好きな人も自分自身も。今すごく意識が朦朧としたなかでこの文章を書いてる。まとまってくれない日本語だけを、忘れないうちに言語化したいなあっていう想いだけで、疲れた身体を絞ってます。主語と述語がなくても、乱れた文章の羅列から、単語だけを抜きとって、何かを心に感じることができる。そういうところが日本語の面白いところであって、美しいところだと思ったりする。久しぶりの旅行ですごく疲れたけれど、今の時間が永遠に流れたらいいなあって何度思ったか分からないくらい本当に幸せだった。なんでも、"はじめて"って緊張するけど、そんなことも忘れるくらい濃い時間だった。ずーっと微笑みあって寄り添いあっていたいなあ。音符を紡いでいたい。