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時空を旅する

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流しそうめんの正体を僕らは知ってる

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某バンドの某曲にこんな歌詞がある。

 

流しそうめんの正体を僕らは知ってる

 

流しそうめんといえば、夏の風物詩のひとつである。竹を半分に切ったものを並べて、そこに水とそうめんを流して楽しむ夏の大々的なイベントだ。

 

しかし、私たちは「流しそうめん」と当たり前のように言うけれど、果たしてその言葉の本質をきちんと捉えて使っているのだろうか?こういう命題は、ある種の常識的な物事に対するアンチテーゼ的なものを含んでいるともいえる。

 

そもそもこの「流しそうめん」という言葉は、「折りたたむ」+「傘」=「折りたたみ傘」、「話す」+「声」=「話し声」といったような、複合名詞の一種であり、「動詞」+「名詞」の組み合わせによって作られている。すなわち「流す」+「そうめん」=「流しそうめん」である。

 

流しそうめん」の言葉の成り立ちを理解したところで、物事の本質を理解したとは言い難いので、今回は歌詞と一緒にこの「流しそうめん」について深く堀っていこう。

 

歌詞の中では、流れるそうめんに対してこのように歌っている。

 

ゴールなんてわからないままで いつまで どこまで

 

そう、はたからみれば楽しく流れているそうめんも、行きつく先はどこなのか分からないのだ。あるがままに、なすがままに、私たち人間によって、竹の上に水と一緒に放り込まれて、ただただ流されているに過ぎないのだ。

 

その姿はまさに、自分の意志ではどうすることもできないまま、世間やこうあるべきだという価値観に流されている者たち、見方を変えれば社会の縮図ともいえるべき事態がそこにあるということに気づかされる。もはやこれは、“流し”そうめんではない、“流され”そうめんなのだ。

 

もし僕がそうめんなら、どう抗うのだろう?

 

そうめんにとって水は、人間でいう空気だ。

 

もしかしたら、一緒に流されている水は、そうめんにとってみれば、かけがえのないパートナーなのかもしれない。当たり前過ぎて、そこにある幸せに気付かないのと似た類のやつだ。

 

こう考えると「抗ってみよう」という考え方自体が、もしかしたら間違っているのかもしれない。

 

そしてサビではこう歌われる

 

時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た

 

あんなに流されることが辛かったけれど、誰かの手によってそうめんが掬われて、めんつゆと一緒に絡めて食べてもらうことができた。そうめんにとっては本望であろう。

 

歌詞の中の「君」とは、そうめんのパートナーである「水」のことかもしれないし、そうめんを掬っている私たち人間のことかもしれない。

 

私たち人間によって、そうめんは流されていると思っていたけれど、ふと人間に掬われて救われたら、何だか嬉しい気持ちになる。嫌いだけど、好き。好きだけど、嫌い。こんな相反する2つの感情がうまく折り重なったような、そんなことを想像させる歌詞である。

 

もしそうめんに心があると思うと、一本残らず、掬って食べてあげたいと心から思う。キンキンに冷えたそうめんとめんつゆを絡ませて口の中をヒンヤリパレードにしたい。

 

ひとりにせずに掬えるように 旅立った唄 間に合うように

 

2番のサビでもこう歌われている。ここまで来るともう本当に流しそうめんのことを歌っているのかもしれない、とさえ思ってくる。

 

「旅立った唄」―そう、これは紛れもなくガッツリと、口の中に放り込んだそうめんのことだ。リズムをかき鳴らすそうめん。思い出を描くそうめん。記憶に刻むそうめん。なんて美しんだろう。そうめん。

 

そして楽曲の最後にはこう締めくくられている

 

飛んでいけ 君の空まで 生まれた全ての力で輝け

 

「生まれた全ての力」―そう、これはそうめんが私たちの元に届くまでの過程のこと。それはつまり「生きる」ということ。小麦粉、塩、水から、茹でたり、もしくは炒めたり焼いたりすることもあるだろう。そうめんがそうめんとして一番輝ける瞬間を見れたのなら、それはもう幸せそのものだ。もしかしたら、流しそうめんの瞬間が的確にそれを体現しているのかもしれない。

 

もう竹の先に設置してある桶の中に、そうめんは一本たりとも流さない。

 

だってそれはそうめんの本望じゃないから。

 

ゴールが分からないまま迷子にならないように、私たちでちゃんとそうめんを掬ってあげることができる。

 

何だか少しだけ流しそうめんの正体が分かったような気がします。

 

透明な白で包まれたキラキラと輝いたそうめんを食べよう。

 

夏。