希う
シャボン玉が割れる速度のように
夏のそよ風を感じる素肌のように
街中できらめく人の声のように
ふわふわした雲が綿あめに見えるように
主観と客観が行き来するように
思い出がどこかでリンクするときのように
チョコレートはとても甘くて、キムチはとてもからい。そんな当たり前の風景を見て感じとったものが、剥製で出来た馬のように、もう動かないものだとしても、私たちには生きているという不確かな実感があるから、なんとなく大丈夫だと思う。
なぜ私がここに生まれたのか、ここにいるのかをを問いだすと、連想ゲーム的にあらゆる角度から言語化できないレベルに達して、最終的には、仮説や空想のはざまで置いてけぼりになる。
生まれてから今まで、切れそうで切れない細い糸を辿って何が正しいのか分からないままなんとなく生きている。
物事はつねに相対的で、人間は何かしらの対象物と比較して、その価値や感情を判断したりする。
疑問と情報収集を繰り返して、色んな感情に踊らされながら、めちゃくちゃ複雑に絡み合った日常生活に浸ってゆく。
折れ線グラフが急激に落下しないように普通に生きることが難しいけれど、そんな窮地に陥っているような感覚が楽しかったりする。
砂時計は一定のリズムで時を刻んでいくけれど、時代は俯瞰的に見れば決して一定のリズムではない気がする。
時代というか、そこで取り巻く様々な物事は
もはやそれは自分自身であって、どう足掻いても進んでいく。
一定だけど一定じゃないスピードで。
子どもの頃は過去から未来へと時間が流れていったけれど、年を重ねると未来から過去へ時間が流れていくような気がするね。
たくさんの刺激も大切だけれど、結局はどういう心持ちで行くかのような気がする。
できるだけ心から離れないで普通を希いたい~。