Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

過去に戻るという感覚

夢を見ていたあの頃に比べたら、叶えるための努力や行動なんて何も残っていなかった。すべて消え失せてしまった。瞬く間に消えゆく流れ星のように、それは一瞬で僕の心から、生きる術さえも奪っていった。僕には何ができるんだろう。何が残されているんだろう。自問自答も出来ないくらい、もう一人の僕は返事さえしてくれない。人は悲しさを乗り越えた時、初めて強くなれるっていうけれど、やっぱり心のどこかには寂しさや悲しさはずっと残っていて、でも逆にそれがあるから、少しは胸張って生きていこうって思える。

 

僕には、幼稚園からずっと幼馴染の友達が何人かいる。同じ場所で、同じ月日に生まれただけの人たちが周りにいて、気が付いたらとても仲良くなっていて、小中高大学では、それぞれがぞれぞれの道に進んで、年齢を重ねるにつれて会う回数も徐々に減っていったけれど、やはり昔からずっと同じ時間を過ごしてきた友達だからか、一緒にいるときは、懐かしい記憶や思い出が蘇ってきて、小学校・中学校の頃はあんなことあったねなんて、笑いあったりして、落ち着いて心から楽しいと思える時間を過ごせた気がする。一緒に辛いことも乗り越えてきたからこそ、分かち合えるものがあった。そして、魔法の時間は瞬く間に過ぎ去り、社会人となり、まだ見ぬ世界へと羽ばたくことになる。それぞれが違う道で、見えない何かと戦いながら、40年の労働生活を強いられることになる。学校とは違って、自分から発言や行動しなければ誰も助けてくれない。そんな残酷な世界で、時には自分を犠牲にして、生きていかないといけない。社会人生活は僕にとって、苦でしかなかった。内定が出た瞬間の喜びとは裏腹に、今まで経験したことのない何かが重く僕の心の中に圧し掛かっていた。敷かれたレールから外れたら人生終了といった、生きてきた中で、何度か目に耳にした穿った考え方が、いつのまにか脳裏に焼き付いていて離れない。個性なんて認めてくれない。我慢することは美徳。こんな日本社会の現実に、少しずつ違和感を感じ始めていた。

 

人格否定と過労自殺と叶わない夢とお前なんて社会に必要ないよという幻想。もし僕が死んだら、その瞬間に世界は終わる。悲しむのは家族と友人くらいなのかな。おそらくニュースにもされない。ただ一人の命が無くなった。それだけが、厚生労働省の資料の1ページに、数字としてカウントされるだけだ。社会で働く日数が増えていくにつれて、輝いていた青春の日々は、跡形もなくバラバラに切り刻まれていった。もう二度とあの頃は来ない。もう二度とあの頃の自分には戻れないのかなって思うだけで、生きている実感がしなくなる。このまま家と会社の往復を繰り返して、病棟のベットで誰にも見守られることなく死んでいくのなら、もう二度とこんな残虐な世界を見れないように、颯爽と自分から命を絶った方が手っ取り早いんじゃないかなって思ったりもする。友達も同じような境遇に陥っている。「苦しい」「つらい」という短い言葉のなかには、途轍もないくらい膨大な苛立ちや妬みや哀しみを孕んでいると思う。もしかしたら、僕の使う「苦しい」という言葉は、他の人にしてみれば、それは苦しくないのかもしれない。でも、苦しみに大小の概念なんてなくて、本人が苦しいと思えばそれは本当に苦しいんだということ。僕は君じゃないから、苦しさを全部汲み取ってあげることは出来ない。けれど痛みを分かち合えることは出来る。だってずっと幼稚園から今の今まで生きて来れたから。ずっと途切れないように紡いで来れたから。ずっと友達でいられたから。

 

社会人になってから、よりたくさんの人たちと出会って話すようになった気がする。本当に感謝しかない。色々な人と話しをしていくなかで気付いたことがある。それは、自分らしさや個性を見出しているときが、一番楽しいということ。楽しんでいる自分がそこに居るということ。結局人間は、自己顕示欲や表現欲が強い生き物で、自分を認めてもらえたとき、自分を表現することが出来たときが、一番心から素直に楽しいって思える気がする。それはおそらく、自分には存在価値がある、つまり生きている価値があるって思えるからだと思う。人と話すのって楽しい。そう思えた。思わせてもらえた。自分を表現すること、さらけ出すことは、とても勇気のいることだけれど、そんな勇気も忘れるくらい、自分をさらけ出した後の達成感や気持ちよさは何にも代えがたいものがあると思う。これは、学生時代に何度も経験している。だから、今ではあの頃に戻りたいって強く思う。逆の意味で遠くへ行きたい。過去を振り返らずに未来を見ろって、大人は言うけれど、過去を振り返るのも大切だ。僕は戻っても良いと思う。今が間違っていると思うなら。

 

最後に、僕は、「俺は昔苦労したから、お前も苦労しろ。」「まだそんなこと言ってるの?夢なんて見てないで現実見ろよ。」「その年で、そんなことやっても無駄だよ、諦めな。」なんて、好奇心に水を差してくるような大人は、あまり好きじゃない。いつだって意見は肯定的でありたい。そして、子どもの頃のような素直で純粋な探究心や好奇心を失わずに生きていきたい。汚れてしまわないように。汚れてもまた立ち直れるように。

 

ではでは★★★★