こころのかたち
小学校の頃の思い出のかけらを摘む作業が大好きだ。夢を見ていた、見させてくれていたあの頃に思いを馳せるのは楽しい。もっと過去の自分を好きでいたい。何もかもに素直だったあの頃のまま、今に至れたらなって、時々思う。忘れてしまったこと、失ってしまったことがとても悲しくて寂しい。私たちは、望んでいなかったたくさんの人たちの人生の中を、何度も会釈しながら自分の人生を歩んでいる気がする。僕もそのうちの一人。だけど、誰一人として、目の前の風景を望んでいなかった景色だと思いたくないはず。間違ってなかった、正しかったって思っているはず。というか、とてもじゃないけれど、そう思わないと、この星を生きていけないような気がする。
これまでいっぱい過去に思いを巡らせた。授業の中休みや昼休みにはグラウンドに出て鬼ごっこ。放課後は友達と一緒に笑いあった。出された宿題と日直と給食当番。マラソン大会と学校の七不思議。うわさがうわさを呼んで、学校中で騒ぎになったね。今じゃもう、頭の中の辞書にはそのような言葉たちは、微かに汚れて見えなくなっている。
そして自我が芽生え始めてから気が付いた、みんな一緒じゃないってこと。こころのかたちはみんな違うってこと。こんな当たり前のこと、今じゃもう当たり前って思えなくなった。みんな一緒じゃなきゃいけない。個性なんて認めない。そんな現実が嫌になった、逃げたくなった。人格否定と葛藤と死にたいのに死ねないもどかしさ。そんなものすべてが、自分が持っているこころのかたちを崩そうとしていた、壊そうとしていた。あの頃みたいな自分に戻りたいって、何度も願いながら、受け止めきれない現実に幾度となく泣かされそうになっていた。でも、「泣ける」って素晴らしい。それはおそらく、まだこころが残っているから。ずっと泣いてもいられないけれど、この感情は死ぬまで大切に持っておきたいな。悲しいとき、寂しいときにちゃんと泣けるように。
好きだった。大好きだった。毎日が愛おしかった。刺激に満ち溢れながら、流れていく時間が眩しかった。もう二度と戻ってこないって思うだけで、悲しくなるし怖くなる。だから、僕はこうして過去に思いを馳せる。過去にタイムリープすると、こころに素直になれる。こころって一緒じゃないよ。みんな一人ひとり違うよ。だから面白い。だから笑い合える。かけがえのない過去と側にいて、もっとたくさんの人たちとこころのかたちを分かち合いたいな。
こころは一生変わらないで、変えたいな。むずかしいけどね。
でも、それだけで、なんか生きていける気がするよ。この先も、ずっと。
そう信じてる。
ではでは★★★★