太陽系探索7日目/マックノート
着火した線香花火からパチパチと火花が散るように、刹那的にすべては過ぎ去っていく。そんな一瞬の生活のなかにも一瞬はたくさんあるから、ひとつ残さず全部を丁寧に切り取ってシャッターを押したいけれど、次々とやってくる明日は待ってくれない。渦巻いた忙しい感情のなかでも、悩めば悩んだ分だけ、考えれば考えた分だけ、少し成長したような気がするけれど、それは一種の自己満足みたいなもので、すべては他人が自分のことをどう思ってくれているかに収束する。決して、悩んだことはすべてが無駄になることなんてなくて、それどころか無駄なことなんて何ひとつ存在さえしない。無駄なことも無駄じゃないことも、すべてひっくるめて、一つのかけがえのない財産って思えるから、悩むことや考えることをやめないで生きているような気さえする。
初めて出会ったときの緊張と沈黙、恥ずかしながら貰ったプレゼント、きらきらと夜空に煌めく打上花火。火が灯されたロウソクにゆっくりと手持ち花火を近づけるように、どんなときも慎重になりながらも少しずつ、何枚も被った猫を剥いでいった。でも被っていた猫を何回剥いでも、それは磁石みたいに瞬く間にくっ付いて強化される。何度剥してもくっ付くから、“もうこのままでいいや”って、諦めの境地に陥るけれど、でも“まだまだ”って諦め切れない自分がいる。こんなことを繰り返して、何度も自分を正当化して、成長した気になったり、どんどん何か分からないものが失われていくような感覚になったりする。
最近はこうして、過去の自分が何を考えていたのかを考えていて、過去から現在まで時系列的に考え事を脳内で並べてみると、やっぱり経験に勝るものはないなあって感じたりする。でも色々悩んだりしたことは決して無駄ではないと思う。もしかしたら無駄かもしれないけれど、無駄なことに何かと理由を付け加えて、無駄じゃないよって、自分を正当化しているだけかもしれない。そして、過去はほんの一瞬でかけがえのないものだなあっていうのはずっと実感していて、これって何年かに一度だけ地球に姿を現す“彗星”に似ているなあって思ったので、こういう記事タイトルにしてみたという次第です。宇宙のことはよく分からないけれど、分からないが故のワクワク感だったり楽しさというものを感じることができるので、私たちが生きる人生に似ているような。何光年も宇宙空間を彷徨いながら地球を目指して私たちが住んでいる地球にやってくるんだけれど、私たちが見ることができるのは、ほんの一瞬の光だけで、それが終わればまた宇宙空間を何光年も彷徨いつづける。とても儚くて切ないけれど、何かすべての摂理を物語っているような。人生もきっとそんな感じなのかなあ。プラネタリウムに行って星をなぞりたい。脳内BGMはBUMP OF CHICKENの「fire sign」でした。
おわり~。