Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

こころのかたち

 小学校の頃の思い出のかけらを摘む作業が大好きだ。夢を見ていた、見させてくれていたあの頃に思いを馳せるのは楽しい。もっと過去の自分を好きでいたい。何もかもに素直だったあの頃のまま、今に至れたらなって、時々思う。忘れてしまったこと、失ってしまったことがとても悲しくて寂しい。私たちは、望んでいなかったたくさんの人たちの人生の中を、何度も会釈しながら自分の人生を歩んでいる気がする。僕もそのうちの一人。だけど、誰一人として、目の前の風景を望んでいなかった景色だと思いたくないはず。間違ってなかった、正しかったって思っているはず。というか、とてもじゃないけれど、そう思わないと、この星を生きていけないような気がする。

 これまでいっぱい過去に思いを巡らせた。授業の中休みや昼休みにはグラウンドに出て鬼ごっこ。放課後は友達と一緒に笑いあった。出された宿題と日直と給食当番。マラソン大会と学校の七不思議。うわさがうわさを呼んで、学校中で騒ぎになったね。今じゃもう、頭の中の辞書にはそのような言葉たちは、微かに汚れて見えなくなっている。

 

 そして自我が芽生え始めてから気が付いた、みんな一緒じゃないってこと。こころのかたちはみんな違うってこと。こんな当たり前のこと、今じゃもう当たり前って思えなくなった。みんな一緒じゃなきゃいけない。個性なんて認めない。そんな現実が嫌になった、逃げたくなった。人格否定と葛藤と死にたいのに死ねないもどかしさ。そんなものすべてが、自分が持っているこころのかたちを崩そうとしていた、壊そうとしていた。あの頃みたいな自分に戻りたいって、何度も願いながら、受け止めきれない現実に幾度となく泣かされそうになっていた。でも、「泣ける」って素晴らしい。それはおそらく、まだこころが残っているから。ずっと泣いてもいられないけれど、この感情は死ぬまで大切に持っておきたいな。悲しいとき、寂しいときにちゃんと泣けるように。

 好きだった。大好きだった。毎日が愛おしかった。刺激に満ち溢れながら、流れていく時間が眩しかった。もう二度と戻ってこないって思うだけで、悲しくなるし怖くなる。だから、僕はこうして過去に思いを馳せる。過去にタイムリープすると、こころに素直になれる。こころって一緒じゃないよ。みんな一人ひとり違うよ。だから面白い。だから笑い合える。かけがえのない過去と側にいて、もっとたくさんの人たちとこころのかたちを分かち合いたいな。

 

こころは一生変わらないで、変えたいな。むずかしいけどね。

でも、それだけで、なんか生きていける気がするよ。この先も、ずっと。

 

そう信じてる。

 

 

ではでは★★★★

2018年のはじまり

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 明けましておめでとうございます。2018年。平成30年。こうやって数字で、今生きている時代をあらわすと、近未来的な道の上を歩いているような、そんな感覚を覚える。当たり前が当たり前じゃないような、時間が過去のどこかで止まっているような、そんな感覚。止まってくれない時間の流れに、狂わされないように、惑わされないように、この先も生きていけるのかなって不安に思うけれど、同時に楽しみな感情も沸いてくる。いつまでもワクワクや好奇心を忘れないで生きていきたいと思う元旦でございます。

 

 大晦日は、思い返してみれば、毎年決まって同じ行為を繰り返している気がする。ガキの使いをメインで見て、CMに入るとNHKの紅白に番組を変える。そして数分見たら、またガキの使いに戻す。この繰り返しである。年越しはCDTVで迎え、朝まで見て、初日の出を見ようと頑張って眠さと闘いながら目を凝らすも、睡魔には勝てなくて、結局、日が昇る前に夢の中へいざなわれる。そして堕落した生活と美味しい食事を摂り、正月というハイパーダイナミックバケーションを思う存分楽しみ、正月ボケを引きずりながら、またいつもの日常に戻っていく。

 

 2017年は本当に色々あった。自分の人生について、考える時間がすごく多かった。分からない社会と、自分の感情に何回も葛藤しながら、毎日を紡いでいた。そんな中で、手を差し伸べてくれる人がたくさんいて、何度も助けられた。本当に感謝しています。ありがとう。自分の頭のなかにある気持ちや感情は、声に出さないと伝わらなくて、誰かに伝えることでやっと、気持ちを理解してもらえたり、共感してもらえたりする。これは、傍からみれば当たり前だけれど、こんな当たり前を実現させてくれた周りの人たちには、心から感謝している。当たり前という幸せ。一人じゃないってこと。言葉ってこんなにも支えになってくれるってこと。もっとある。本当にたくさんのことを気づかされた気がする。ありがとう。

 

2018年は、もっと心から笑っていたい。抽象的だけれど、それが一番だと思う。日常で出会う小さな幸せが少しずつ積もっていくと、それに比例して人生も少しずつ幸せになっていくような気がする。心も豊かになってゆく気がする。だから色んなことに感謝しながら生きていこうと思う。

 

 

みなさん良いお年を!

 

 

お肉とお寿司をいっぱい食べたいなぁ。

 

 

ではでは★★★★

「BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER」 12/16 石川産業展示館4号館 ライブレポート

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 当日は雨。豪雨と風が吹き荒れるなか、入場待機列で凍えそうな胸の奥を、ライブ前のドキドキで覆い隠しながら、ただただ自分のブロック番号が呼ばれるまで待っていた。番号が呼ばれたと同時に、この極寒の中から抜け出すかのごとく、颯爽と会場内へと足を運ぶ。傘は会場内には持ち込めないそうだ。僕は傘を端っこの分かりやすい場所に置き、ブロックへと駆け出した。ちなみにブロックはD-2。ブロックに入ると出島に薄らマイクスタンドが見える。この時点ではまだ距離感覚は掴めない。整列番号が遅かったため、会場に入った途端、すぐにいつものスタッフさんによる楽器の音出しが行われていた。この音を聴くとライブに来たんだなぁと改めて強く感じられる。会場内は人の熱気ですでに暑い。そして10分後くらいに「本日はBUMP OF CHICKENツアーPATHFINDER 2017,2018公演にお越しいただきありがとうございます。」といったアナウンスが流れる。「今しばらくお待ちください。」という締めのアナウンスとともに、僕は配布されたPIXMOBからテープを引き抜く。感情の整理がつかないまま、会場内を流れる洋楽がフェードアウトしていき、それとほぼ同時に、全体を包み込むように会場が暗転する。そして、興奮と熱気が無意識的に溢れ出るように、沸き起こる拍手。遂にライブが始まる。

 

 ステージにオープニング映像が映し出される。まるで4次元空間の中にいるかのような、ねじれ空間の中にいるかのような、不規則な波形がどこかを目指して彷徨うように展開されていく。その映像には、どこからか、人生に対する迷いや葛藤が投影されているような気がして、自然と魅入っていた自分がいた。映像が終わりに差し掛かると、秀ちゃんが初めに、藤くんが最後に登場する。藤原は大きくギターを掲げる。格好良い以外の何物でもない。秀ちゃん、チャマ、ヒロ、藤くん、それぞれがぞれぞれの楽器を鳴らす。僕は今回のPFツアーに参戦するのは、ありがたいことに石川公演が3ヶ所目なんですが、OP映像が終わる後に演奏されるインスト楽曲をどうか音源化もしくは映像化していただきたいです。そしてインスト楽曲が終わるとステージの画面には大きく“PATHFINDER”の文字が映し出される。もうすでに心がいっぱいである。その後本編1曲目が演奏される。

 

 1曲目は「GO」。イントロと共に、色とりどりの紙吹雪が舞い散り、幻想的で神秘的な風景が目の前を埋め尽くす。サビに差し掛かると、さらに紙吹雪が放出され、虹色に光り輝くPIXMOBと相まって、鮮やかで流麗な景色が辺り一面に広がる。2番サビ終わりには、「こんばんは、BUMP OF CHICKENです!石川!お前に会いに来たんだよ!!」とライブに参戦するお客さん一人一人の心に投げかけるように、強く優しく煽るように藤原が叫ぶ。僕は、手首の光り輝くPIXMOBをメンバーに見せるように、会いに来たことを精一杯彼らに伝えられるように、高く拳を掲げる。

 

 そしてそんな興奮に追い打ちをかけるかのように2曲目が演奏される。「♪「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけてた」というサビのワンコーラスが力強く歌われたあと、ライブバージョンでの始まり方で2曲目の「天体観測」が始まる。ライブに参戦するたびに聴いている。けれど何回聴いても色褪せない名曲だと思う。そして、生でこの曲を聴くたび、あぁバンプのライブに来たんだなぁと感じられる。ライブならではのアレンジと、ラストサビ前の「♪「イマ」という ほうき星っ↑」と藤くんが歌い上げ、お客さんが「今も一人 追いかけている」と一体となり合唱する。ラストサビでは、「♪「イマ」というほうき星 僕らみんな追いかけている」と歌詞変えをして歌い上げる。金テープ・銀テープもラストサビで発射され、目の前の景色を彩るように舞い降りてくる。すべてが圧巻ですべてが一瞬だった。

 

 3曲目は「ray」。イントロからのチャマのベースで、周りの人たちのボルテージは最高潮に達していた。特にチャマのベースの部分では、「キャー!」という悲鳴に近い、感極まったような肉声さえ聞こえてきた。藤くんは出島の前に出てきて、囲まれるようにして揚々と歌い上げる。「♪お別れしたのは何で 何のためだったんだろうな」の部分で藤くんは、お客さんの手振りに合わせて、胸の前で小さく両手を動かしていたり、「♪時々熱が出るよ」の部分では、歌詞に合わせて、額に右手を持ってくる動きを見せていたり、そんな藤原に、僕は38歳とは思えないくらいの可愛さと、愛おしさを感じた。奇しくも男なのに、キュンとしていた自分がそこにいた気がしました。

 

 3曲の演奏が終了すると、ここでチャマのMCが始まる。「こんばんはー!BUMP OF CHICKENでーす!」なぜかチャマのMCを聴くと安心する。「今日、初めて僕たちのライブに来たよって人―?」「もし周りで具合悪そうな人見つけたら声かけてあげて下さい」など、チャマが投げかける言葉一つひとつが温かくて愛おしい。するとチャマがいきなり、「石川産業展示館!石川産業展示館!石川産業展示館!」のコールを始める。チャマのコールに戸惑いを感じながらも、お客さんもコールに応えるように「石川産業展示館!」とコールを始める。何回かコールを繰り返したのち、チャマが「そういうこと!4号館!」と、格好良いのか悪いのか分からない謎の締め方でコールを終わらせていました。石川産業展示館コールも終わり、ライブは4曲目へ。

 

 4曲目は「トーチ」。今ツアー3回目のトーチです。でも、聴いた回数とか関係なく、ライブで聴くときは、その時の心境や感情に凄く左右されるから、何回聴いても初めて聴いたような新鮮味を味わうことができる。一回一回のライブ、セトリが似ていても、やはり感じるものや心動かされるものは、一つひとつが違っていて、それがまた面白くもある。そして純粋に楽しい。もっと欲を言うと、トーチ枠の宇宙飛行士への手紙もどこかのツアーで聴いてみたい。

 

 5曲目は「Ever lasting lie」。個人的に、今までのバンプのライブでは聴いたことがなく、またPFツアーでも初めて聴く曲である。初めて生で聴けるということもあり、歌詞と4人が丁寧に紡ぐ音にただただ聴き入っていた。特に間奏の藤原のギターソロは余すところなく格好良さが滲み出ていた。正直この曲は普段聴くことが少ないので、ライブで生で聴いて、もう一度きちんと歌詞を見て聴いてみようと思った。

 

 6曲目は「記念撮影」。これまでの公演(幕張、静岡公演)では背景にMVが流れていたが、石川公演では流れていなかった。しかし、だからといって不満に思ったわけではなく、それはそれで、出島の先端でお客さんに囲まれながら、必死に力強く丁寧に歌い上げる藤原の姿に集中することが出来たので、良かったと思う。「♪迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでも行けると思う」藤くんらしい歌詞に、勇気をもらえたし、背中を押してもらえた気がした。

 

 ここで再びチャマのMCタイムである。このタームではチャマがメンバーの自己紹介をする。チャマ→藤くん→ヒロ→秀ちゃんの順で自己紹介がされる。チャマは藤くんとヒロの自己紹介をし、何を思ったのかチャマは少し無茶ぶり気味にヒロに、秀ちゃんの自己紹介をするように命じられ、まじかと言わんばかりの表情を浮かべながら、ヒロらしさ全開で、噛みそうになりながらも、精一杯秀ちゃんの自己紹介をしていたのが印象的だった。メンバーの自己紹介が終わると、再び石川産業展示館コールが幕を開ける。今度は少し難易度を上げ、チャマが「石川産業展示館~?」と言ったら、お客さんは「4号館―!」と叫び、「石川産業~?」と言ったら、お客さんは「展示館―!」と叫び、「石川産業展示~?」と言ったら、お客さんは「館―!」と叫ぶ。途中で、何だこれはと正気に戻って思いましたが、とても楽しかったので良しとしましょう。このコールを何回か繰り返したあと、ラストにチャマは「石川産業~?」とお客さんに投げかけましたが、お客さんの返答がバラバラで、「展示館―!」と叫んでいる人もいれば、「4号館―!」と叫んでいる人もいて、そんな状況に対してチャマは「そこは展示館でしょっ!!」と、お笑い芸人がツッコミを入れるような瞬発さとタイミングで、ふいに笑みがこぼれてしまいました。そんなツッコミが入るや否や、すぐに7曲目の演奏がスタートします。

 

 7曲目は「pinkie」。pinkieカップリング曲にも関わらず、今ツアーの固定セトリに含まれている楽曲で、ライブで聴くと更に好きになります。少しは見慣れた、ハンドマイク藤原も登場し、ついつい見惚れてしまいます。背景には、桜のようなピンクの花びらが舞い散っており、少し早い春の訪れさえ感じさせられました。個人的に、pinkieが収録されているA面のシングル「HAPPY」もいつか聴いてみたいですね。HAPPYを聴くことが出来たら、もうそこにお墓を埋めたいと思っております。

 

 8曲目は「花の名」。イントロが聞こえた瞬間、感情が覚束なくなり、どこからか懐かしい記憶や、哀しい記憶が刹那的に蘇ってきたような気がしました。PFツアーでは初めて聴く楽曲です。お客さんは、ほとんどの人が棒立ちで聴き入っていたのですが、1番が終わり、2番に入ると藤くんが、「自分の光ってるPIXMOB見せてよ」と、囁くようなジェスチャーで、右手を上げる素振りを見せました。傍から見れば、些細な動作だったかも知れないけれど、僕にとって、藤くんが右手を上げる動作は、グッと心に響いてくるものがあった。藤くんは、ちゃんと私たち一人ひとりに向けて、歌ってくれている。私たちの光をちゃんと、一つひとつ心から正面で受け止めてくれている。そんなことを、聴き入りながら思った。また、歌詞変えも多く、覚えている箇所で言うと、2Aメロ「♪僕が今日置く唄は あなたと出会えた証拠で」。Bメロ「♪歌う力を借りたから 声の出るうちに 返さなきゃ」。そして2番終わりのCメロ「♪瞼閉じて 耳澄まして 君に会いに来た音がある ここにも」。大サビからラストにかけても、歌詞を変えて歌っていたけれど、たくさんありすぎて、僕の頭では少し限界がありました。もしかしたら半分くらい歌詞変えて歌ってたんじゃないか説が自分の中で浮上していましたが、そんなことも忘れるくらい、温かい気持ちにさせてもらいました。僕も光ってる一部になれたこと。少し大袈裟かも知れないけれど、生きていること、生きていけることを肯定された気がしました。

 

 9曲目は「三ツ星カルテット」。出島の先端に4人が出てきて演奏します。演奏する前に、藤くんが、pinkieが始まる前のチャマのMCについて弄ります。それは、お客さんの「展示館―!」と「4号館―!」が合わさって「4時間―!」と聞こえたことでした。藤くんは曰く、「4時間って何だ?」と思いながらpinkieを歌い始めたそうです。僕は、微笑ましすぎて、不覚にもキュンとしてしまいました。一応言っておきますが、彼らは38歳のそこそこのおじさんです。三ツ星カルテットは、ギターのメロディラインが好きすぎて、3分じゃ足りないくらいです。もっと聴いていたい。そう思えるような楽曲です。

 

 10曲目に入る前に再びMCタイムです。ここでは藤くんとヒロが喋ります。話題は主に2つ。1つ目は、前日に行った金沢21世紀美術館の話、2つ目は、10年くらい前にカイワレコンビで石川に温泉旅行に来たことがあるという話です。2つ目の話は意外すぎて、「へぇー!」という心の声が会場内から沸き起こっていました。当時は、何の計画も立てずに、宿も予約せずに、藤くんとヒロだけで石川に温泉旅行にいったそうです。そんな中、日帰りで帰れるハズもなく、電話で旅館を予約したらしいのです。そしたら電話先の受付の人が、20代後半の大人の男二人組が、一緒に温泉旅館に泊まることに対して、「え!?男二人?しかも同じ部屋で!?」と、少し勘違いをされたというエピソードを話していました。そんな貴重なエピソードを聴いては、微笑ましく思い、また、ずっと昔から変わらないんだなぁと、しみじみとした気持ちになりました。

 

 こんな笑いありのエピソードが終わったあとは、10曲目「You were here」が演奏されます。You were hereはイントロのチャマのベースが素敵ですね。ここでもハンドマイク藤原参上です。僕はハンドマイクに多少慣れた目つきで見ていましたが、藤くんはまだ覚束ず、まだ少しハンドマイクに不慣れで緊張した雰囲気を感じました。「♪伝えたかった事 伝わったのかな」大丈夫。ちゃんと伝わったよ。受け取ったよ。僕からは直接伝えられないけれど、精一杯耳澄まして受けとれた。曲が終わると藤くんが「ありがとう」とマイクに向かって呟いた。その5文字が気持ちのすべてを表していた気がした。こちらこそありがとうだよ。

 

 You were hereが終わるとメンバーは再び、ステージに。そして演奏された11曲目は「アンサー」。先ほどとは打って変わって盛り上がるナンバー。かつて、3月のライオンのOP曲でもあった。一人ひとりの腕にあるPIXMOBが、自分という存在を証明するかのように煌びやかに輝いている。誰もが平等に光り輝いていた。たとえどんな人生でも、間違いなんてなくて、一人ひとり、一つひとつのドラマがあって、物語があって、葛藤があって今を生きている。人生というものを天秤にかけて、正しいとか、間違いとかいう概念なんて存在しなくて、ただただ同じ輝きを放っている。それぞれの命に大小なんてない。生きていること、それだけで、もう意味がある。価値がある。そんなことを辺り一面に光り輝くPIXMOBを見て思った。僕も、根拠はないけれど、大丈夫だって、心から思えた瞬間だった。

 

 12曲目は「ラフ・メイカ」。バンプのデビュー曲「ダイヤモンド」のカップリング曲である。ライブでは初めて聴く楽曲だった。2番終わりのヒロのギターソロが格好良く、昔のバンプを彷彿とさせてくれた。あの尖っていた頃のバンプが、演奏中、少し相まみえた気がした。17年も前の曲でありながら、そこには新鮮さがあり勢いがあった。ツアーでまた聴けると良いなあ。

 

 MCが挟まれることなく、演奏された13曲目は「宝石になった日」。ヒロのギターや、メロディのトーンを変えるなど、細やかなライブアレンジが見られ、光り輝くPIXMOBの景色や照明などすべてが綺麗だった。この時、僕は、着実に少しずつライブが終わりに近づいていることを意識し始めた。そんなことを考えた途端、急に寂しくなった。もっと聴いていたい。もっとこの場に居座っていたい。もっとこの景色を記憶に刻んでおきたい。そんな叶うはずもない欲望と戦いながら、待ってくれない時間にただただ流されていた。

 

 14曲目は「Butterfly」。イントロが聞こえた瞬間の周りの人たちの「あ!この曲は!!」といった心の叫び声が漏れて、それが一気に今まで以上のエネルギーに変わり、一目散にガラッと空気が変わった気がした。もしかしたら、今日一番の盛り上がりだったかも知れない。僕は、疲れ切った二の腕を精一杯振り絞りながら、光り輝くPIVMOBを高く掲げ、降りかかってくる寂しさや悲しささえもバネにして、心の底から光を放ち、飛んだり踊ったりした。サビでは、虹色のレーザー光線が四方八方に解き放たれ、演出が最高に綺麗で圧巻の景色だった。歌詞はあまり明るくないのに、ライブではそれを良い意味で塗り替えるような演出で、この曲は、CDだけじゃなく、是非ライブで聴いて、そして演出も沢山の人に見て欲しいと思った。もしかしたら、これがButterflyという楽曲のあるべき姿かも知れない。Butterflyが終わると、藤くんがマイク越しに話す。「チャマ、さっき俺の後ろひっぱった?」とチャマに尋ねる。するとチャマは「バーンッ!!(火薬演出)で、藤くん死んじゃう!って思ったからさ。」と少し笑みを浮かべながら言う。それに対して藤くんは「なんだお前か。良いライブをしていると座敷わらしでも来たのかと思って...金髪だったのか...。」と少し可愛げのあるツッコミを入れ、お客さんも笑いを浮かべていました。

 

 15曲目に差し掛かる前に、藤くんが言葉を放つ。「Butterfly歌った?ウォーウォーウォーって歌ったの?あっそうー。満足したの?してない?じゃあ次の曲、私はここに居るんだよって証明をね、大きな声で歌って下さい。」こんなMCをしたあとに演奏された曲は「fire sign」。イントロでもう色々な感情が湧き出てくる。ヒロはどんな気持ちで演奏しているのだろう。メンバーMCで言わないけれど、きっとあの頃は、辛い時期もあって、それを乗り越えて今があるんだろうなぁとか、言葉に出来ないような繊細な気持ちを、これまで培ってきた信頼関係や一緒に歩んできた仲間として、カバーし合って、挫けそうになりながらも、助け合ってここまで来たんだろうなぁって思ったりする。僕ともう一人の僕、そして僕とメンバー、こんな忙しい感情のなかで聴くfire signは、どこか切なくて、それでいて美しい。曲終わりの、お客さんで合唱する箇所では、ヒロが男女でコーラスを分けようとしていました。しかし、女子から男子にコーラスを切り替えるタイミングが掴めず、戸惑っていて、それがもうヒロらしくて、愛おしくて、つい笑ってしまいました。おそらくこの笑いの類いは、決して馬鹿にするような笑いではなくて、微笑ましくてつい笑みが零れてしまうような笑い。オーロラを見たときのような、街のイルミネーションを見たときのような、無意識的に零れてしまうような感情の類い。また、コーラス後半には、ステージでギターソロを弾いている藤くんを呼び、ヒロが「藤くん、下コーラス歌って」と言ったのですが、藤くんはよく聞こえなかったみたいで、「え!?」みたいな表情を浮かべ、ちゃんと聞こえるように耳元で話していたのが印象的でした。こんな、カイワレコンビの愛おしさと仲の良さをステージ上で見せられると、キュンとせざるを得ません。もう一度言っておきますが、彼らは38歳のおじさんです。ここはすごく重要です。アンダーラインでも引いておいてください。

 

 そして、「あぁ...終わっちゃう...。」と藤くんの寂しい声が響き渡るなか、本編ラストの曲「リボン」が演奏される。僕も寂しくなった。いつもライブが終わってしまうことに対して、寂しさや悲しさを感じていたけれど、彼らも同じ気持ちなんだなぁと、改めて強く思った瞬間でもあった。彼らのライブでは、寂しい気持ちをたまに「あと何曲かで終わってしまいます...。」や「最後の曲聴いて下さい。」など、「寂しい」という言葉をあまり直接口にしない。だから、僕はこれまでのライブでは、もちろん彼らはライブでしか、聴いてくれている人と会うことができないし、ライブも毎年やっている訳でもないから、僕ら以上に寂しい気持ちがあることは、分かっていたつもりだったけれど、それは本当に分かってた「つもり」になっていただけだった。なので、この時ばかりは、本気で寂しいと僕も思えることができた。そうして、一緒に寂しくなれることって、もしかしたら人生の中でも、そんなに数多くないことだと思うから、こういう気持ちを大好きな人たちと一緒に共有することが出来てとても光栄に思えた。一緒に寂しくなると、少しだけ、ほんの少しだけ幸せな気持ちが芽生える気がする。大丈夫だよって、少し背中を押された気がする。解けなかったリボンが、こうして聴き手の気持ちまでも一緒に紡いでくれた気がした。こうして鳴り止まない温かい拍手のなか、演奏が終わり、メンバーは「ありがとう!」と言って、ステージ裏へ颯爽と足を運ぶ。

 

 するとお客さんは、会場名をアンコールでコールするという暗黙のルール的なものに乗っかって、「石川産業展示館!石川産業展示館!」とコールを始める。しかし、中々揃わない。コールを5分くらい続けていると、照明が灯され、メンバーがツアーTに着替えた状態で、ステージに出てくる。チャマが「アンコールありがとうー!」と言う。からの、クリスマス限定グッズの宣伝と、もう一つ、お客さんにちょっとしたダメ出しをする。「なんで君たち、コールが揃わなかったか分かる?それは、石川!産業!展示館!(4拍子)ってで言ってたから。それが色んなところからやってくるから、石川産業...石川産業...石川...石川...............ってDJっぽくなっちゃうから!それはそれで面白いから良いんだけどね。だから石川!産業!展示館!(8拍子)って言うと揃うでしょ。」と、コールが揃わなかった原因と解決策をサラっと解説したあと、スマホを取り出し、インスタに乗せる謎のコール動画を撮る準備を始める。そこでチャマは藤くんとヒロに、コールを崩すように指示。チャマは「コールを邪魔してくるけど、気を取られないでね。」と、笑いながらスマホを片手にお客さんを撮影し始める。いつもインスタで他公演のコール動画を見ていくなかで、何でカイワレコンビは、途中で謎の言葉を発しているのだろう?とずっと疑問に思っていたのですが、ここで始めて理解することが出来ました。まさかのお客さんのコールを崩そうとしていたとは思いませんでした。僕は藤くんとヒロの声が聞きたい欲に勝てずに、途中で耳すまして、藤くんとヒロが何を言ってるのか聞き取ろうとしてました。コールを続けなければならない反面、藤くんとヒロの声に惑わされてはいけない。これは簡単なようで意外と難しい。なぜなら、どうしてもカイワレコンビに耳を傾けてしまうから。僕はこのゲームには負けてもしょうがないとさえ思ってしまいました。というか僕は見事に敗北していたと思います。

 

 撮影が終わったあとは演奏体制に。しかし藤くんがギターを持っておらず、そんな姿を見て、すかさずチャマが「藤くん、ギターを持ってください!」と華麗なツッコミで笑いを誘います。そして藤くんのMCが始まります。「今までツアーで何回かこの曲をやってきたんですけど、今回でこの曲をするのは最後になります。心を込めて歌います。聴いて下さい。Merry Christmas。」そんな心温まるMCをしたあと、アンコール1曲「Merry Christmas」が藤くんのアコギから始まります。サビに入ると背景に、虹色に彩られた大きなツリーと、その上から嫋やかな動きで雪がふんわり降り注ぎます。いつかライブで聴きたいと思っていた曲がこうして生で聴けることに対して、もう言葉が出てきません。演出、演奏、藤くんの歌声、すべてがすべて贅沢な瞬間で、心が浄化されたような気がしました。さらにラストの大サビになると、ツリーの装飾と、周りのイルミネーションの数が増え、盛大な虹色に彩られて、心奪われました。おそらく途中で流れ星も見えたと思います。そんな流れ星も誰かが見たのなら、素敵なことだと思います。ラストの「メーリークリースマース」をお客さんと合唱します。歌詞はこんなにも寂しい曲なのに、寂しさのなかにも、温かさや優しさが見えた気がしました。本当にMerry Christmasを聴くことが出来て良かった。心から。でももう長い間、聴くことができないって思うだけで、悲しくなる。けれど、この記憶を感情を深く心に刻み込んで忘れないようにしておきたいなぁ。曲が終わると藤くんが、もうこの曲をやらないことに対して、とても寂しかったらしく、「もう1度やっていい?」と少し冗談混じりで言っていました。僕は言葉に甘えに甘えて、マジでもう1度やって欲しいと思いましたが、大人の事情的なものに守られて無理そうでした。

 

 そしてアンコール2曲目は「流星群」。ここでもまた藤くんがポロっと心の声を口にします。「寂しいなぁ...。」僕も寂しかった。本当に終わってしまう。この現実を受け止められない。そんなことを考える間もなく、演奏がスタートします。つりそうなっている二の腕を精一杯挙げて、僕はここにいる、という証明を力を振り絞って、光り輝くPIXMOBを掲げます。「こんな魔法のような夜に 君と一緒で良かった」なんか、この先も、どんなことがあっても大丈夫って思えた。ありがとう。

 

 演奏が終わると、チャマは上半身裸になり、身に付けた筋肉とクビレを見せるように、「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべ、リストバンドやツイストをお客さんに投げ、ステージ裏へ。秀ちゃんも、バイバイって手を振りながらステージ裏へ。ヒロも噛みそうになりながらも、微笑みながら、リストバンドとツイストバンドを投げ、ステージ裏へ。そして最後に藤くんのMC。「今日は寒い中、本当にありがとうございます。」も10秒くらい長いお辞儀をして、その後も何度も頭を下げる。藤くんが言っていたのは、流星群のイントロが切なすぎて、寂しくなったこと。寒い中本当に来てくれてありがとうってこと。そして、寒いから、お風呂にちゃんとお湯張って温かくして寝なさいってこと。最後には「今日はありがとう。楽しかった。バイバイ。おやすみ。」そういって帰るかと思いきや、サンタコスのニコルをアンプの上に置き、帽子の角度など、凄く繊細に細かく微調整して、「このあと、写真OKタイムになるから、良かったら写真撮ってね。」と、藤くんの優しさが滲み出た行動と言葉に心奪われます。また、「いつもは、ペットボトルの蓋開けてお客さんにあげるんだけど、今日は外寒いだろうから、蓋閉めたまま投げるね。」といい、水が入ったペットボトルをお客さんに投げる。しかし、お客さんからキャー!という悲鳴が聞こえてきたらしく、藤くんはすかさず「ごめんね。そんなのが飛んできたら怖いよね。もはや鈍器だよね。」と笑い混じりの表情を浮かべて、舞台裏に入る寸前まで、最後まで手を振り、僕は楽しさと寂しさを噛み締めながら、精一杯手を振り、ありがとうって心のなかでいっぱい伝えた。こうして石川公演は幕を閉じた。

 

 僕が1番大きく感じたことは、今までの公演より、すごく大きな"寂しさ"を感じたこと。それはおそらく、2017年も残りわずかで、今年がもう終わってしまうことに対する寂しさとライブが終わってしまう寂しさが、合わさって、大きな寂しさになったからだと思っている。僕はいつも年末になると、どこからか寂しさや哀しさを感じてしまう。別に特別悲しいことが起こったわけでもないけれど、1年という月日が終わってしまうことに対して、寂しい感情を抱いてしまう。これは何でなんだろうって、いつも自問自答して、それでも分からないまま、心機一転しようって決めて新年を迎えているような気がする。でもそんな大きな寂しさは、自分のなかで、大きな糧になっていて、また頑張ろうって少しでも思えた自分がいた。だから、一見ネガティブに見える感情も、捉え方を変えれば、自分の人生を振り返って、たとえ僅かでも、小さな一歩でも、行動しよう、頑張ろうって思えたなら、それだけで充分大きな意味があると思う。たとえ大きな意味がなくても、生きていて、ライブをたくさんの人と共有したという事実さえあれば、この先も生きて行ける気がする。頑張ることも大事だけれど、頑張らないことも大事。どんなに寂しくても悲しくても、自分らしく人生を生きていれば、それだけで僕はどこでも行けるって信じてる。心がある限り、生き続けていける。本当にありがとう。

 

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良きMerry Christmasを。

 

 

ではでは★★★★

 

 

忘れないように

 僕は夜中という時間帯が大好きだ。沈黙で埋め尽くされる空と、パソコンのファンの音だけが狭い部屋中を駆け巡る。社会の歯車が悠々としたスピードで動いているから、夜行性の僕にとっては快適で最高すぎる環境なのだ。夜中だけは、自分の感情に素直に正面から向き合える。緩やかに進む社会の歯車とは対照的に、僕の頭の中の感情や考え事は煮えたぎるように活発的に動く。これと言って特に生産的な活動をしているわけではないけれど、頭の中を様々な感情たちがぶつかり合ったりしていく様を、俯瞰的に見たりして、正しい感情だけを取り出しては、そこに浸ることを繰り返している内に朝がやってくる。冬は日が昇るのが遅いから好きだ。なぜなら自分の感情と向き合う時間が増えるから。最近は、何かを見たり考えたりしている時に、パッと無意識的に浮かんだアイデアや、頭の中の言語化できないレベルのモヤモヤをノートにメモすることを心掛けている。というかほとんどこれが習慣になっている気がする。書き記したノートに特別な目的はないけれど、自分の刹那的な感情はシャボン玉のようにすぐ消えてしまって儚いから、ノートにペンを走らせるのだと思っている。だから後でノートを見返すと、何だこれ?って思わざるを得ない言葉がぎっしり詰まっている。でも不思議なことに、書いてある言葉は違えど、ほとんど同じような意味のワードが多い。人と話しているとき、ポロっと無意識に口から発した言葉が本音を表しているように、無意識的に記された言葉たちが、同じ意味を成しているのは、おそらく自分の本心では、こういうことを考えたり思ったりしているんだろうなぁと、気付かせてくれる。自分の感情に素直に向き合うことは簡単なようで難しい。だからこそ、向き合う時間が必要だと思う。もう一人の自分との駆け引き。自分ももう一人の自分も、お互いに分からないまま、何かをずっと探している。BUMPの「時空かくれんぼ」的な思考と言っても良い。おそらくずっと死ぬまで悩み事は絶えないと思うけれど、自分の感情と向き合うことを忘れたら、そこで全てが溶けてしまうような気がする。もう無理なのかなぁと悲観的に思っても、細く固く結ばれた一本の糸があれば、それだけで生きていけるよね。僕はそう信じてる。こんなことを夜中の4時に書いてます。もしかしたら頭おかしいかも知れないですね。でもこういう時間がたまらなく好きです。疑問と自問自答が募っていく毎日だけれど、自分の湧き出る感情から、何か一つでも汲み取って生きる糧にしていければ良いと思う。どんなに未熟でも不器用でも、一つだけ信念や美学があればどこにでも行ける気がする。ありのままの姿で。ずっと。

好きな人には好きって言えるように

 今すれ違った人は、どんなことを思っていて、どんな毎日を生きているのだろう。電車の中で隣に座っている人、目の前に座っている人は、どんなことを感じていいて、どんな人生を生きているのだろう。こんな、考えていてもどうしようもないことをよく考えてしまう癖がある。答えのない物思いにふけながら、最終的には、自分に与えられた人生というものに、自分は正直で素直に生きているのかなぁとか考える。たまに、世間は冷たくて残酷だ、社会は甘くない、厳しい世界だなんて、今までの人生を生きる途中で幾度も耳にした、根拠のない誰かの言葉をふとした瞬間に思い返しては、少し目の前が滲んだりする。人は、世間のことを考える時や述べる時、少し離れて一歩引いた俯瞰的な目線で見たり発言したりする。また、時には、自分はこの世界の中心で、自分が軸となって世界は動いているというような、ある種の中二病的思考をもたらすときもあったりする。心のどこかで、自分は他の人より秀でていて、自分は認められた存在であるというような、優越感に浸るときもあったりする。おそらくこういう類の感情は、人間誰しも持っているものだと思う。それは人間に与えられた特権なんだけれど、ときには、他人を傷つけてしまったり、自分までも無意識に傷付けてしまっていることさえあったりする。義務教育とその延長の中で、たくさんの人たちに叩きつけられてきた、物事に対する穿った見方や考え方が、自分の考えの中にウイルスのように侵入してきて、本当の自分を奪われそうになる時がある。こんな考えを持ってしまっている自分が嫌だなぁって思いを心のどこかに馳せながらも、軌道修正できないまま、流されていく。そんな日々の繰り返しが人生なのかなぁって無意識に納得してしまっている自分がいる。そもそも本当の自分って何なんだろう?個性って何なんだろう?一生かかっても答えは出てこない気がする。だって、自分らしさや個性というものは、自ら見出そうとして見出すことのできるものじゃないと思うから。自然と、一種の現象のように、その人から滲み出てくるものだと思うから。生活のなかの、ふとした溜め息のような、友達を遊んでいるときの、ふとした笑顔のような、大切な人が苦しんでいるときに、ふと手を差し伸べられるような、こういう類のものだと思う。こんな一瞬一瞬が積み重なって、自分らしさや個性が滲み出てくるのかなぁとか思ったりする。でも、どうしても、その日の気分や状況で、いつもとは違う自分に変わったりして、そんな自分が嫌になったりして、他人のことを思いやれていない自分が少し惨めに感じるときもある。僕は、友達と遊ぶとき、今友達は、自分と居て楽しいと感じているのかなぁとか、お別れしたあとも、友達にあんな発言をしたけれども、心傷ついていないかなぁとか、友達が発したあの言葉の真意は何なんだろうとか、色々考えてしまう癖がある。こんなこと考えてもしょうがないと分かっていながらも、なぜか考えてしまっている自分がそこにいる。こんなに考え込む自分をたまに、めんどくさいなぁとも思う。でも考えることは、決して無駄じゃないって信じている。どこかできっと役に立つときが来るって信じている、そして、こんなにも考えている自分のことを、自分で、これが自分らしさなのかなぁと、思ったりもする。その反面、こんなことはみんながみんな考えていることで、ごく当たり前のことだから、自分は没個性なのかなぁとも考えたりもする。だから、冒頭でも述べたけれど、こういう考えが巡り巡って、街行く人々の頭の中を色々妄想したりしてしまっているのかなぁって思う。答えのないことを空想することは楽しい。おそらく一生死ぬまで、考え続けるんだろう。考えることを止めたら、人間じゃなくなる気がする。ロボットになってしまう。でも、そんな人も一種の個性なのかなぁとも思う。何が正しくて、何が間違いかなんて、人生にはそんな概念はないけれど、それでも、やっぱり、自分の心には一生素直でいたい。小学校の頃はなんて素直だったんだろうって、今でもよく思い返したりする。探究心や好奇心を忘れないように、楽しいときは楽しいって、苦しいときは苦しいって、好きな人には好きって、魂から素直に言えるように。

 

 

今年も残り1カ月。早いなぁ。

 

 

ではでは★★★★