Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

アルファベットA~Zのなかで、電車のつり革として一番適しているのは?

f:id:float_space:20181001025110p:plain

  突然ですが、皆さんは電車の“つり革”を見たことがあるでしょうか…?

 

 一般的につり革とは、電車などの乗り物で、立っている乗客たちが、乗り物の揺れや動きから身を守るために、上から吊るされている道具のことを言います。

 

 また、電車のつり革は多種多様なものが起用されており、東京ディズニーリゾート内を運行する舞浜リゾートラインではミッキーマウスのかたちをしたつり革、JR東日本では、バレンタインデー前後の期間限定企画として“ハート型”のつり革が設置されるなど、今やつり革界隈はとどまることを知りません。

 

 そんな、斬新で新鮮なアイデアで盛り上がりを見せるつり革界隈ですが、このあいだ電車に乗っていて、つり革を掴んでいたときふと、こう思ったのです。

 

「今僕が握っているつり革は、アルファベットでいう「O」の形だけど、もし仮に別のアルファベットだとしたら、何が一番握りやすいんだろう…?」

 

 こんなことを思いながら電車に乗っていると、何か変なことを考えている人みたいに見られそうですが、変なことを考えているのは頭の中だけなので、ギリギリセーフです。

 

 というわけで今回は、アルファベット全26種類の中から、電車のつり革に適しているものを考察していきたいと思います。ちなみに今回使用する英語のアルファベットは大文字だけとします。念のためランキング形式にしてみましたので第5位から見ていきましょう。

 

 

 

第5位 S(エス

f:id:float_space:20181001013613p:plain

 画像ですべてを説明してあるつもりですが、一応補足説明をします。

 赤い部分は、電車が急停車や急発進するとき、電車と一緒につり革が揺れて、「S」の先端の二か所が、乗客の顔や頭に当たってしまう恐れがあるかもしれないのでやや危険です。しかし、握る箇所はいくつかあるため、どこを握れば良いのかの迷いはありません。特に「S」の真ん中の“斜めの部分”を握っておくと、万が一つり革から手を離してしまったとしても、その下にもう一つ握るところがあるため、「もしつり革から手が離れてしまったらどうしよう…」なんて不安は一目散に払拭することができます。先端がやや危ういですが、持ちやすさが功を奏して見事5位にランクインです!

 

 

第4位 G(ジー) 

 f:id:float_space:20181001013903p:plain

 「G」の強みは何かと言うとやはり、右に“返し”が付いているということ。返しが付いていることで、「S」とは違って、より安定感が出て、つり革を握っている時の安心感も違ってきます。「俺がこの電車の揺れから、お前を凌いでみせる!」といった意気込みさえ、この“返し”から伝わってきますね。

 

 

第3位 Q(キュー)

 f:id:float_space:20181001014448p:plain

 右下から出ている“しっぽ”みたいなものが気になりすぎて仕方ないですが、ちゃんとつり革としての機能は果たしてくれています。いつもの円形のつり革に飽き飽きしているそこのアナタ。右下に何かオプションが付いているだけで、何かいつもとは違うワクワクが込み上げて来るのではないでしょうか。パスタ料理における“パセリ”のような、ピノを開けたらハート型のピノが入っていたときのような、そんな日常生活における“ちょっとした幸せ”を、この「Q」のしっぽからも感じとれます。

 

 

第2位 B(ビー)

f:id:float_space:20181001014508p:plain

 もしかしたら次世代のつり革候補かもしれません。それくらい汎用性が高いアルファベットだと思います。背の高い人は上部の部分を、背の低い人は下部の部分を持つことができ、老若男女に愛されるつり革となってゆくでしょう。強いて、少し危うい箇所を取り上げるなら、左上と左下の90度になっている部分でしょうか。だた、いずれにせよ、掴みやすいことに変わりはないので、参考にしたいところです。

 

 

第1位 O(オー)

f:id:float_space:20181001014521p:plain

 色々と熟考したのですが、やはりこのアルファベットの右に出る者はいませんでした。圧倒的強者&非常にシンプルなアルファベットです。もはや完璧すぎて言うことが何一つありません。あえて一つ言うとすれば、記事の展開的にあまり面白くない、といったことぐらいでしょうか。いや、これ良いのです。原点に戻ること、それは歴史を学ぶことと同じくらい重要なことなのです。

 

 

 

 いかがでしたでしょうか…??

 結局、“シンプルイズベスト”ということが改めて証明されたような気がします。それでは逆に、「つり革として最も適していないアルファベットは何なのか」気になりませんか?最も適していない、つまり最も持ちにくいつり革、ということです。ということで、ワースト3を調べてみましたので、参考にしていただけると幸いです。それでは再びまいりましょう。

 

 

 

ワースト第3位 F(エフ)

 f:id:float_space:20181001014538p:plain

 dangerousなところが4か所もありますね。電車の乗って、どこも座る席がなく、ふと目の前に「F」のつり革を見たとき、あなたはどこを握りますか?電車は待ってくれることなく定刻通りに発車します。つり革を握らずに、慣性の法則に抗うことなく、そのまま電車の揺れにうまく対応するのか、それとも、この見慣れない「F」のかたちをしたつり革を、戸惑いながらも見よう見まねで握るのかはアナタ次第です。持つとしたらやはり、真ん中の横棒でしょうか。しかしずっと持っていると、いつかポキッて折れてしまうんじゃないか…という、変な被害妄想をしてしまうかもしれません。しかもこの「F」というアルファベット、字のバランス自体とても不安定なので、心配極まりないです。つり革がつり革としての役割を果たしていないこの感じ、何かとても哲学的な感覚さえしますね。

 

 

ワースト第2位 I(アイ)

 f:id:float_space:20181001014603p:plain

  パッと見、持ちやすそうな気もしますが、もうほとんどただの棒がぶら下がっているだけなので、電車という揺れが激しい箱のなかでは、めちゃくちゃ左右に揺れて危険です。さらに「I」の上下にある横棒も、左右に揺れるとたちまち一種の鈍器と化します。また、本来つり革というものは、に握るはずなのに、「I」のつり革はに握ります。日常生活において、棒状のものを縦に握りながら身体を支えるなんて、断崖絶壁に垂らされたロープを「ファイトッー!!イッパーツ!!」と言いながら精一杯握りしめるときくらいです。なので、私たちからすれば違和感のカタマリでしかありません。「I」を握る…「アイ」を握る…「愛」を握る…なんでもありません。

 

 

ワースト第1位 L(エル)

f:id:float_space:20181001014615p:plain

 こちらも「I」同様、持ちやすそうではあります。しかし、見えないところに様々なキケンが潜んでいるのです。たとえば、下の横棒を持ったと仮定しましょう。するとおそらく、下記のようになります。

f:id:float_space:20181001014630p:plain

 そうなのです、大きく傾いてしまうのです。というか、この「L」字型のつり革を設置した時点で、やや左に傾いていると思います。やはり見た目だけでは判断できないことも多いので、多くの人は「L」の横棒を持ってしまいがちです。握る箇所としては大誤算で、電車の発車と同時に大きく左に傾いてしまうことでしょう。つり革を持っているのに、持っていないときと同じ状況に陥るという、何が起きているのか分からない、ということになり得るのです。なので、持つ箇所としては、縦棒のところが正解となり得るわけです。しかし、縦棒のところを持ったところで、左に傾いてしまうことは避けられないので、きちんとつり革に掴まって電車の揺れを防いでいる感はあまり感じることができないというデメリットもありますね。せっかくつり革を握るなら、僕/私は、今つり革に掴まっているんだ、という確固たる自信を感じたいですよね。これらのことを総合的に見て、見事ワースト1位にランクインです。

 

 

 

 いかがでしたでしょうか…?

 日常生活におけるアルファベットの使用用途は無限に限りなく近いほど、たくさんあります。皆さんも、「あ!ここ、アルファベットを当てはめるなら「P」だなあ。」と感じたら、ぜひそこに置いてみてください。何か生きるヒントに繋がるかもしれません。僕はもし、洗濯バサミは今後、アルファベットの「A」で代用可能だと思っております。

 

それでは!さようなら~!☆☆☆☆

くす玉の垂れ幕に書かれていたら「えっ!」と思う言葉5選

f:id:float_space:20180920222925p:plain

こんばんは、こんにちは、もしくは、おはようございます。

こういう記事を書くの、久しぶりな気がしますが、どうかお手柔らかにご覧いただけたら幸いです。

 

突然ですが、皆さんは「くす玉」を割ったことがありますでしょうか!?

 

一般的に「くす玉」といえば、企業の創立記念日や新しい店舗のオープン記念日、入学式や結婚式、パーティなどのお祝い事など、多岐にわたって使われることが多いイメージがありますね。

 

さらに球状になっている割り玉のなかには、紙テープ紙吹雪などと一緒に、メッセージが書いてある垂れ幕が現れ、会場内もしくはオーディエンスに集まる人たちの拍手喝采に包まれます。

 

クラッカーやビックリ箱をいとも容易く凌駕するお祝いアイテム「くす玉」は、より一層“特別感”を醸し出し、サプライズグッズ界隈では屈指の地位についています。

 

しかし昨今の現代社会では、くす玉から現れる言葉たちは、見慣れたものばかり蔓延ってます。

「創立○周年!」

「【祝】おめでとう!」

「リニューアルオープン!」

など、嬉しい感情に変わりはないのですが、やっぱりちょっと二番煎じ感がありますよね。

 

そこでふと思ったのです。

 

くす玉を割った瞬間、誰もが「えっ!」と思うようなくす玉のメッセージは何なのか。そこにいる人たちが「何でそのメッセージ!?」と思うような垂れ幕は何なのか。厳粛な雰囲気のなか、一本のひもを引っ張った先に待ち構えているメッセージは、オーディエンスにどんな反応を示してくれるのか。プレッシャーとワクワクのなかを彷徨って、いざ参りましょう。

 

 

【速報】昨日、髪切りました。

 ああ、だからこの人は髪の毛が短いのかあ、前の髪型はどんなんだったんだろう?どこの美容院に行ってきたのだろう?とか、色々と妄想をするはずがありません。つまり、“知らんがな of 知らんがな”なのです。さらにメッセージ冒頭に“速報”の文字があることから、本人によっては素早く誰かに伝えたかった事実なのかもしれません。そう考えると“知らんがな”と思う、自分の心に罪悪感すら感じてしまいますね。失恋してしまった女の子のように、髪の毛を切る行為は新しい自分をスタートさせることとほぼ同義だとすれば、もしかしたら「おめでとう」の言葉よりも、良い意味でお祝い感があるのかも知れませんね。

 

このくす玉、Amazonで2,980円でした。

  律儀に価格を伝えていくスタイルです。やはり今の時代、リアル感が大切で、そこには人を惹きつける何かが存在します。くす玉を割った後に補足情報として、紙吹雪と銀テープの価格もきちんと伝えましょう。そうするとよりgoodです。そしてこのメッセージの肝は、何といってもAmazon”で購入したということ。今の時代はインターネット社会で、パソコン一台あるだけで、日常生活に困ることはありません。この垂れ幕のメッセージからは、現代社会に適応する能力どんなことにも挑戦していく意志力、こんなことを学ぶことができるのではないでしょうか。

 

今すぐその手に持っているスマホを下ろしなさい!

  今やスマホは生活必需品となっています。なかでもTwitterLINEなどのSNSは、若者を中心に、情報収集アイテムとして生活に欠かせないものとなりつつあります。休日の街並みや観光地を歩けば、スマホ片手に写真を撮っている人で賑わいます。くす玉が割られるような大きな会場やイベントでは、その瞬間をカメラに収めようと、周りの人たちの手には、当たり前のように無意識のように、カメラを起動させ、溢れる人たちの頭上をくぐり抜けて、シャッターチャンスを待ちます。そして、やっとの思いでシャッターを押せたと思えば、そこにはスマホをおろしない!」の文字が。その瞬間だけは少し嫌悪感漂うかも知れませんが、後に撮られた写真はTwitterやインスタグラムで拡散され、運が良ければバズることもあるでしょう。ある意味、戦略的で計算されたくす玉メッセージと言えるのではないでしょうか。

 

こんなくす玉はいやだ

  急な大喜利大会のスタートです。大喜利イベントで、司会者の方が普通に大喜利のお題を発表するよりも、くす玉からお題が出てきたほうが、少しは盛り上がる気がします。また、“くす玉から大喜利のお題が発表される”こと自体も“ボケ”になっているため、ボケやすい空気感を作ることができ、大喜利大会の進行もスムーズになされること間違いなしでしょう。あなたなら、どんなくす玉がいやですか?

 

続きはWebで

  くす玉の垂れ幕メッセージたるもの、やはりいかに簡潔に短く想いが“伝わる”言葉にするかは、とても大事なことです。「おめでとう」の5文字じゃ何か物足りない。かといって、馬鹿みたいに長い文章を書くのも何か気が引ける。そんなあなたに、この魔法の言葉「続きはWebで」を使いましょう。これを見た観衆は、“ああ、この垂れ幕に書ききれないほどの想いがあったんだなあ”と、強い想いを汲み取ってもらえるだけでなく、より一層お互いに信頼が結ばれます。ある意味、これが本当の広告宣伝なんじゃないかとさえ思ってしまいます。

 

 

 

…いかがでしたでしょうか。僕がもし、くす玉だったら、絶対に「【祝】おめでとう!」しか垂れ幕のメッセージに入れさせません。やっぱり“おめでとう”の5文字と、キラキラの紙吹雪と銀テープというシンプルなくす玉が一番良いですね。一番シンプルで一番“愛”を感じます。最後に元も子もないことを言ってしまいましたが、皆さんもくす玉を作って、もしくは購入して、ユーモアのあるメッセージをしたためてみてはいかがでしょうか。僕は誰に何と言われようと「おめでとう!」一択です。

 

ではでは~!

太陽系探索7日目/マックノート

 f:id:float_space:20180812225236j:plain

 着火した線香花火からパチパチと火花が散るように、刹那的にすべては過ぎ去っていく。そんな一瞬の生活のなかにも一瞬はたくさんあるから、ひとつ残さず全部を丁寧に切り取ってシャッターを押したいけれど、次々とやってくる明日は待ってくれない。渦巻いた忙しい感情のなかでも、悩めば悩んだ分だけ、考えれば考えた分だけ、少し成長したような気がするけれど、それは一種の自己満足みたいなもので、すべては他人が自分のことをどう思ってくれているかに収束する。決して、悩んだことはすべてが無駄になることなんてなくて、それどころか無駄なことなんて何ひとつ存在さえしない。無駄なことも無駄じゃないことも、すべてひっくるめて、一つのかけがえのない財産って思えるから、悩むことや考えることをやめないで生きているような気さえする。

 初めて出会ったときの緊張と沈黙、恥ずかしながら貰ったプレゼント、きらきらと夜空に煌めく打上花火。火が灯されたロウソクにゆっくりと手持ち花火を近づけるように、どんなときも慎重になりながらも少しずつ、何枚も被った猫を剥いでいった。でも被っていた猫を何回剥いでも、それは磁石みたいに瞬く間にくっ付いて強化される。何度剥してもくっ付くから、“もうこのままでいいや”って、諦めの境地に陥るけれど、でも“まだまだ”って諦め切れない自分がいる。こんなことを繰り返して、何度も自分を正当化して、成長した気になったり、どんどん何か分からないものが失われていくような感覚になったりする。

 最近はこうして、過去の自分が何を考えていたのかを考えていて、過去から現在まで時系列的に考え事を脳内で並べてみると、やっぱり経験に勝るものはないなあって感じたりする。でも色々悩んだりしたことは決して無駄ではないと思う。もしかしたら無駄かもしれないけれど、無駄なことに何かと理由を付け加えて、無駄じゃないよって、自分を正当化しているだけかもしれない。そして、過去はほんの一瞬でかけがえのないものだなあっていうのはずっと実感していて、これって何年かに一度だけ地球に姿を現す“彗星”に似ているなあって思ったので、こういう記事タイトルにしてみたという次第です。宇宙のことはよく分からないけれど、分からないが故のワクワク感だったり楽しさというものを感じることができるので、私たちが生きる人生に似ているような。何光年も宇宙空間を彷徨いながら地球を目指して私たちが住んでいる地球にやってくるんだけれど、私たちが見ることができるのは、ほんの一瞬の光だけで、それが終わればまた宇宙空間を何光年も彷徨いつづける。とても儚くて切ないけれど、何かすべての摂理を物語っているような。人生もきっとそんな感じなのかなあ。プラネタリウムに行って星をなぞりたい。脳内BGMはBUMP OF CHICKENの「fire sign」でした。

 

おわり~。

太陽系探索6日目/ヘールポップ

 f:id:float_space:20180812225236j:plain

 発車のベルは、伝えられなかったあの子への気持ちやモヤモヤを埋めるかのように脳内の隙間に鳴り響く。流れていく夜景を眺めながら、無意識の向こう側にまでたどり着こうとするけれど、何も知らないから言葉の概念の輪郭をなぞることしか出来なくて、未熟な自分に途方に暮れる。言葉の輪郭をなぞるだけじゃ物事の核心には迫れない。だけど怖くて触れることができない。なぜならすべてを知ってしまったら、電車に揺られながら感じているこのふわふわとした感覚や想像力、経験もすべて失ってしまうような気がするから。考え事は半永久的に交錯し合って終わることがないけれど、“悩み”というものに対して、少ない言葉のカケラで解決策を紡いでいく作業は滑稽だけれどちょっと楽しい。

 表舞台に決して出ることのない正解のない問いを導きだすけれど、まだまだ勇気の殻は破られないまま、いつも同じ過ちを繰り返す。分かっているけれど全然分かっていなくて、それはハッキリと“行動”という形で露呈する。行動しないと、いつまで経っても夢を見て終わる。そしてそんな自分が嫌になる。それの繰り返し。でもたまに有耶無耶になって、いとも容易く勇気の殻を破れたりする。そんなときは、自分でも分からないくらい快感に包まれる。恥じらいなんてなくて、その時は一皮剥けたような気がするけれど、あくまで気がするだけ。生まれ持って積み重ねてきた性格や価値観は簡単に変えることが出来ないから、一瞬のできごとはその場しのぎ的に過ぎ去って、またいつもの自分に戻る。メンタルの皮が厚くなったように感じるけれど、即座に薄くなって元に戻る。なにか人間の心は弾性的な性質があるみたいだ。

 でもやっぱり経験や体験というものはとても強くて、考え事じゃ比較できないくらい、大きなエネルギーとなって、自分の心に宿っていく。そしてそのエネルギーは募っていければ募っていくほどかけがえのない勇気や自信に変わって、生きてゆく糧になったりする。経験や体験の類は、刹那的で一瞬だけれど、途轍もないエネルギーに変わるのは少し不思議でかつ本質的な気さえする。1対1でも1対100でも、変わらないものは変わらないなあって思う。変わるって思っている自分も他人からみればすべて一緒なわけで、それならもう格好つけて取り繕った自分なんかやめて、もう産声をあげて生まれた赤ん坊のような“素”で望むしかないような。俯瞰的に見て捉え方を変えるとある種の逃げ道を作っているように見えるけれど、これがもしかしたら、幸せになるための偉大な一歩かもしれないような気さえする。

太陽系探索5日目/ハレ―

f:id:float_space:20180812225236j:plain

 マスタード色に塗られた記憶のなかでは、誰かを好きになることさえも、退屈になって気が緩む。与えられた場所で花を咲かせるために、あらゆる手を尽くすけれど、あんまり上手くいかなくて、“慣れ”というものに自分が染まっていく。このままでいいのかなあって思うけれど、時間というものは止まってくれなくて、何か分からないものに置いてけぼりになったりする。異性の人との接し方なんて分かっているフリしながら何も分かっていなくて、そんな自分に恥ずかしくなったりする。何でも“初めて”って恥ずかしい。

 やっとこの頃から異性の人を気にかけるようになって、心躍るようなたくさんの出来事やイベントが発生したけれど、やっぱり慣れないものは慣れなくてずっとモヤモヤが残る。そんな、まだまだ未熟過ぎる自分が時折嫌になったりする。夏の蒸し暑さと微睡みのような、気怠いハチミツみたいなものが頭の中をゆっくりと流れていって、考えては落ち込んでを繰り返す。

 それでも曖昧な勘違いを経て、少しずつ正体不明の自信を身に付けていく。何もかもが未経験だから、目の前で起こるイベントに正面で向き合っていくしかなかった。正体不明の自信を持って挑んでも、それは華麗に砕け散って、また脳内自分反省会が始まる。“まだいける”って何度も思って上手く飲み込もうとするけれど、それでもまだ大きな固形物が残っていて、きれいに咀嚼できない。そんな自分を何度も嫌になって、時々好きになったりする。どんな失敗さえも凌駕するほどの自信を持っていけたらいいのだけれど、本当の自分を見失いそうでとても怖い。そもそも本当の自分って何だろう。

 こんなことを思いながら行く、地元のお盆祭りは、見る景色さえ変わらないけれど、やっぱり二度と訪れることのない青春を謳歌したいって気持ちは心のどこかに残っていて、手を繋いで楽しそうにイチャイチャしているカップルを横目に、少しの希望と大きなプレッシャーで頭が埋め尽くされる。でもやっぱり“いつかは”って気持ちが少なからずあってそんな微かな光を糧に、平坦な毎日を下手なりに生きていた気がする。