納豆の気持ち
僕はたまに納豆を食べる。
パックを開け、薄いフィルムを取り、付属している醤油をかけ、箸で混ぜる。
たまに混ぜてる最中に、一粒だけ端っこにこびり付いて上手く混ざりに混ざってないことがある。
この一粒の納豆の気持ち、考えたことがあるだろうか。
今日は待ちに待ったパーティの日。いつもより少し派手なファッションで自分を着飾り。上手くいくことだけを考えて何度も何度も脳内シュミレーション。脳内シュミレーションの中の自分はいつでもその場のヒーロー。でもいざパーティ会場に行くと、そこはもう戦場。上手く馴染めない自分と戦いながら、答えのない自問自答が始まる。おそらく一粒の納豆も、こんな苦しい気持ちを抱いているのかも知れない。
僕はそっと手を差し伸べるように、こびり付いた一粒の納豆を箸で摘み、一緒に混ぜてあげた。
納豆を混ぜる。そう、一心不乱に。
納豆を混ぜる。そう、常識に囚われないように。
納豆を混ぜる。そう、誰にも邪魔されないように。
USBメモリを1回で挿す方法を考える
こんにちわ、floatです。
突然ですが、皆さんはUSBメモリを使ったことがありますでしょうか?
学校のレポートや会社でのパワーポイント資料の作成など、情報化社会と化した昨今では欠かせないアイテムの一つとなっていますね。
さらに、USBメモリの進化はとどまること知らずに、大容量のものや、ついつい手に取ってしまうようなカワイイタイプのものまで様々な種類があります。
そんな超便利なUSBメモリ...。ところで皆さんはこんな経験ありませんか?
USBメモリが一回で挿せない!!!!!!
僕はあり過ぎてもはや困っています。
最初に、USBメモリを挿そうと思ったら逆で、逆にしたら何故かそれも入らなくて、「あれ?」と思ってまた逆にしたらすんなり入るっていうこのサイクル、もう2万回ぐらいは繰り返してます。
おそらく「USBメモリ100個!誰が一番速く挿し終えるか選手権」たるものがあれば、間違いなく僕は最下位でしょう。
そこで今回はUSBメモリを、どのようにすれば1回でスパッと挿すことが出来るのか、その方法を考えていきたいと思います!
「ここから挿す」と書いておく
一番無難で楽な方法です。ただこの方法は、USBメモリに書いてある文字を見なければ成立しないので、急いでいる場合などに使用する際はやや不向きであるとも言えます。
動くUSBメモリを作る
全て自動にしちゃいます。パソコンに挿す時も自分の意思で動き、パソコンから抜く時も自分の意思で動きます。なので、挿す時に戸惑う心配は一切ありません。強いて言うなら、作業中に勝手に抜かれる恐れがあることですかね。データが飛んでしまっては戸惑うどころの話ではありません。ルンバのような、喋るロボットのような、夢が膨らみますね。
上手く挿せなかったら電流が流れる
もう罰ゲームの類いですね。しかも電流はかなり強めに設定されているので、USBメモリを挿す時の緊張感は凄まじいものがあります。挿す方向を間違えるとストレスは溜まるわ、電流が痺れるわで作業どころの話じゃ無くなってきそうですね。しかし、USBを挿す前に「間違えずに挿そう」と自分に誓うことで、精神的集中がなされ、その後の作業にも没頭することが出来るため、そういう意味では全然アリと言えるでしょう。
10回連続1回で挿せたら1GB増量
1GBですから、かなり多いです。やはり挿す方向を間違えてしまうと、少なからずパソコンにはダメージが与えられます。USB挿し込み口にも支障をきたします。パソコンにダメージを与えないよう、ゆっくり丁寧に挿し込むのです。つまり1GB増量はパソコン側からの優しさと捉えて良いでしょう。
むしろパソコン側から挿しに行く
本来、USBメモリとパソコンの関係は、「挿す」—「挿される」の関係です。しかしここでは関係が逆転します。つまりUSBメモリとパソコンは、「挿される」—「挿す」の関係ということになります。今までは、USBメモリの挿す方向が逆ならば、USBメモリをひっくり返せば良かったのですが、今回はそのような間違いは通用しません。何故ならば、USBメモリが逆になっている時点でパソコンはもう挿せないからです。パソコンは逆には出来ませんし、出来たとしても私たちが困ります。このように、「挿す」—「挿される」の立場が逆転するとお互いに信頼関係がより深まり、「わざわざ挿してくれるパソコンのために全力を尽くそう」と心構えるわけです。
...いかがだったでしょうか?
皆さんもUSBメモリでこのような経験が多いと思われる方は一度試してみてはいかがでしょうか?
僕はもうずっとパソコンに、USBメモリを挿したままにしておこうと思います。
ではでは!☆☆☆☆
「カメラロール」という言葉で遊ぶ
こんちわ、floatです。
この前ふと、このiPhoneで撮った写真を眺めていたら、目に飛び込んできたとある言葉に心打たれました。
撮った写真を見ようと写真のアプリをタップします。そして見たい写真フォルダを選択すれば、画面上部に瞬く間に現れる6文字の言葉がありますよね。
そう、「カメラロール」です。
このワードに何故か僕は身体が痺れるような強い刺激を覚えました。
皆さん想像してみて下さい。カメラロール...カメラロール...この言葉、ずっと眺めていると何か大きな可能性を秘めていることに気付きませんか...?そう...並び替えると何かビッグバンが起こりそうな気がしてきませんか...?
...そこで今回はこの「カメラロール」という言葉を並び替えたりして遊んでいきたいと思います。
ロー・カラメル
どこからか感じるルー大柴っぽさを感じます。「このプリン、ベリーベリーデリシャス」とか言ってそうですね。
またロウとカラメルという、どちらもネットリしてるコンビがコラボレーションするという奇跡も見所です。
ローカ・ラメル
幼稚園や保育園の廊下はラメってデコレーションを施したほうが子どもたちは喜びそうですね。
噛めるローラ
噛んじゃいけません。出来れば愛でて上げてください。
カラーメロル
略してカラメル。
ローカル・ラメ
都会用のラメと、地域限定のラメがあります。
ルー絡めろ
日本語がカタコトなインド人シェフが、トンカツと半熟玉子がのっているカレーを出してきた時に、咄嗟にお客さんに放った一言。
空メール・ロ
ロと書かれた空メールです。一見、漢字の口(くち)かカタカナのロ(ろ)か分からないので、相手を惑わせに来てる様が容易に想像できます。
...いかがでしたでしょうか?
カメラロールの秘められた可能性に驚いてもらえましたでしょうか。
そろそろ「カメラロール」にゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうなので、この辺りで止めときたいと思います。
ではでは!☆☆☆☆
BUMP OF CHICKENの歌詞から考える「出会い」と「別れ」
出会ったら必ずお別れが来るように、始まったら必ず終わりが来るのように 、見つけたら必ず捨てる時が来るように。
これはもう免れることの出来ない事実で、大きく言えば生(始まり)と死(終わり)。そんな生と死の中に数々の出会い(始まり)と別れ(終わり)があって、こんな風に始まりと終わりを繰り返しながら人生を生きていくんだと思う。こんなこと当たり前過ぎて文章化するのもおこがましいくらい。
出会ったら必ずお別れが来ることを私たちは知ってるけど知らない。というか知らないフリをしている。
初めましてが来るとその瞬間に自分のなかに無意識に「お別れゲージ」が生成されて、月日が流れていくにつれて、自分では分からないうちに徐々に増えていく。
でもそんなこと知らなくて、日常に溢れ返る数々の喜びや楽しさに感情を揺さぶられながら日々を生きてる。
その間もお別れゲージは溜まっていく。
そしてふとした瞬間に「お別れ」を告げられると、そこで初めて気付かされることがたくさんある。
それは当たり前の日々は当たり前じゃないこと。
私たちが生きてる毎日には、当たり前がたくさんあって、それを普通の日々と置き換えて、何事も無く今日の連続を生きている。
当たり前過ぎて、その幸せさに気付けないから、突然終わりが来たときに、ハッと気付く。大切さと恵まれた日々と当たり前を当たり前と認識させてくれた人に。
いつか終わりが訪れるのなら、いっそのこと当たり前の日々の当たり前さにもっと鈍感でありたい...。
終わりが来た時に当たり前の日々の素晴らしさに気付くのは遅いから、今のうちに当たり前をもっと噛み締めておきたい...。
BUMP OF CHICKENの歌詞の中にも出会いと別れを描写したフレーズがある。
例えば...
いくつのさよならと出会っても 初めましてとは別れないよ /morning glow
僕らの間にはさよならが 出会ったときから育っていた /アリア
お別れしたことは 出会ったことと繋がっている / ray
これらの楽曲の歌詞に共通していることは、出会いとお別れってそれぞれ遠い場所にあるように思えるけど、実はとても近い存在同士であるってこと。
近すぎて、私たちはそれを見ようとしない。そして、それは当たり前の日々に沙汰されて、お別れなんて来ないって無意識に思ってる。本当はすぐ側にあるのに。
だから突然お別れが来ると、たくさん気付かされることがあるんだろうなぁって思う。
悲しみが来る前に、当たり前という幸せを、日々感じながら噛み締めながら生きていたいですね。
当たり前を噛み締め過ぎて、生きてる意味の素晴らしさっていう何番煎じか分からないくらい考えたことでもいいから...。
ではでは!☆☆☆☆
受け取った色、選んだ色。
―——これは生まれる前の出来事——―
胎盤にて。
僕は死んだ。何回目かの輪廻転生。前世の記憶はもうないけど、ここにいることが初めてじゃないことはなんとなく分かる。死んだときに記憶が完全に抹消されなかったみたいだ。たまに外の世界から、何か言葉が聞こえる。言葉は完全に理解は出来ないけれど、聞こえてくる度に早くそっちの世界に行きたいと思う気持ちが強くなる。その前にまた、ヤツが来る。
——「君に色をあげる。未来を担う君に色をあげる。何色が良い?」
僕は答えない。分からなかったから。
——「分からないなら、とりあえず赤色をあげる。未来で活用してね。」
そう言って去って行った。僕は赤色を胸に仕舞い込み、胎盤生活を謳歌した。
数日後。
——「おはよう。元気かい?ずいぶん赤い目をしてるけど大丈夫?」
僕は俯いたまま、何も言わなかった。
——「赤色だけじゃ満足できないかなって思って、また来たよ。次は何色が欲しい?」
僕は咄嗟に言葉が出てこなかった。
——「じゃあ今度は、橙色ね。はい、あげる。」
僕はまた、不思議な気持ちを感じながら、胸に色を仕舞い込んだ。
来る日も来る日も、僕は誰かに色を与えられ続けた。そんな日々を過ごしながら、僕はどこからか少しだけ強くなっていた気がした。
そしてついに時は来た。
僕が生まれる1日前。また知らない誰かがやって来た。
——「君に最後の色をあげる。躊躇わず受け取ってね。」
そう言われて僕は紫色を受け取った。
そして誰かさんはこう続けた。
——「君が今まで受け取ってきた色、ちゃんとまだ持ってる?くれぐれも混ぜないでね。絶対だよ。」
僕は思った。
——「もっと早く言ってくれ...。」
胸の中の色が少し滲んで、黒くなっていた気がした。
でも何故「混ぜるな」と警告されたのか僕には分からなかった。
——「そろそろ行くね。混ぜるな危険、没個性。」
知らない誰かさんは、こう言ってその場を後にした。
僕は、最初から最後まで不思議な人だなぁと思いながら、生まれる準備をした。
そして、僕はこの世に生まれた。
見たこともない景色に魅了され、名前も知らない人たちもたくさんいた。五感が急に振動し始めた。
すると僕は、あの不思議な出来事を思い出し、咄嗟に心ポケットを見た。
それは、無色透明に輝いていた。
おわり。