Gummy Gummy Night Festival

時間を旅する宇宙飛行士

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最後のアルバイトが終わった

昨日で塾のアルバイトを終えた。初めてから約1年半と短い期間ではあったものの、僕にとってはとても濃い時間だった。

塾講師のアルバイトを始めたのは2015年の10月くらいで、始めようと思ったキッカケは単純に"子どもと関わるアルバイトがしたかった"からという理由である。しかし、始めた当初は不安という二文字が頭の中を駆け巡っていた。

というのも、きちんとしたアルバイトというものをそれまでに経験したことがなく、"やりたい"という気持ちは大きかったものの、それに比例した"自信"は上手く自分の中に見い出せないでいた。

そんな"自信の無さ"は"大きな不安"に置き換わり、それが弛緩した行動になって表れて、他人の目に幼く映る。
他人の瞳に幼く映った自分の姿は、いつしか怒られる対象に変わり、遂には辞めさせられるところまで来ていた。

「声が小さい」「もっと大きい声で」「声にメリハリをつけて」

何回言われたか分からないけれど、それでもこんな自分を叱ってくれる社員さんの優しさに感謝しながらも、少しずつそれを意識しながらアルバイトを続けた。

今思えば最初の2ヶ月は苦しかった。自分を叱ってくれる社員さんの優しさと、それに上手く順応出来ない自分とがぶつかり合って、自問自答しつつも何とかやって来れた、やって来させてもらった。

おそらく声の大きさやトーンを変えるには、相当意識して発声しないと不可能で、簡単に磨かれるものではない。なので僕は、授業の中で、教えることだけに固執せず、出来るだけ生徒と会話して、目標を達成しようとした。

しかし、ただ会話するということだけでも難しくて、会話に入り込み過ぎてもダメで、逆に全く関心を示さないのもダメなのである。生徒と一定の距離を保ちながら会話をする、これが以外と難しい。

しかし3ヶ月はくらい経つと微々たる速度ではあるが、少しずつ進歩しているのが自分でも分かった気がした。

そして、2016年の3月になると、僕に大きな壁が立ちはだかってきたのである。そう、就職活動である。

実は以前から就活の前までに辞めようかなと頭の片隅で思っていたが、決断する間もなく、人生の分岐点である就職活動をする時期がやって来たので、就活と並行してアルバイトを週2~3回のペースでやっていた。

塾は基本夜からなので、説明会や面接を終えて、スーツを身に纏った格好で、アルバイトに行っていた。

増えていく希望と希望を奪うお祈りメール、連鎖が連鎖を呼び、身体と心が削りとられそうになっていた。

それでも、塾のアルバイトに足を運ぶと、変わらない元気な純粋で明るい生徒がそこにいて、本当に元気を貰っていた。

純粋で無色透明に輝いていた一つ一つの光は、僕の心まで到達して照らしてくれて、いつしかそれは無意識に明日を生きる希望に変わっていた。

生徒から発せられた優しい言葉の雨は、僕の深く傷ついた心までは、流してくれなかったけれど、それでも、再び立ち上がる勇気を貰っていた気がする。

就職活動が始まってから3カ月くらいが過ぎた頃、徐々にスーツを着る回数も減っていき、少しだけ気軽な気持ちで授業が出来た気がした。

そして、少しずつアルバイトにも慣れていき、少しずつ自信がついてきて、自分の授業スタイルを確立していった。

僕は中学の頃、塾に行っていた、というより行かされた。もはや自分の意志ではない。強制されて自主的に行動したわけではない。おそらく中学生で塾に通っている人の動機の大半は、親に行かされた場合が多いだろう。つまり、中学生にとって”塾”という存在は、”だるい”、”面倒くさい”、”行きたくないけど行かないといけない”など、あまり肯定的な印象を持たれない。だから僕は”塾”という場所を、少しでも行きたくなるような、楽しい場所であるような、そんな場所にしたいと思っていた。塾に行くのが楽しいと生徒に思ってもらうためには、講師の先生の指導能力やセンス、面白さに掛かっていると言っても過言ではない、というよりそれが全てである。

だから僕は、良い意味でテキトーに、面白い授業を心掛けていた。面白い授業、すなわち生徒を笑わせたら勝ちゲームである。

そして、生徒を笑わせるためには、ボケないといけない。ボケる以外に人を笑わせる方法は幾つでもあるが、僕にはボケる方法が経験則で一番合っていた。というより、自分自身が割とボケたがりな性格な面も影響しているかも知れない。

しかし、生徒に勉強を教えるにおいて、「ボケる」ことは一見、タブーに近い行為のように思える。なぜならボケることは、非論理的な発言をして笑いを取り、ボケ過ぎると、勉強を教える立場上、講師の信頼度の低下などに繋がる恐れがあるからである。

でも、ボケることで、自分のキャラが確立し、それを生徒に理解させることが出来るようになり、生徒との距離も近くなることはメリットの一つである。

ボケ過ぎずにボケて授業をする。簡単そうに見えて実は以外と難しい。

ボケることの必要性やメリットについて語ると長くなりそうなので割愛します。

こんな感じで、アルバイトに慣れ始めたら、出来るだけ面白い授業をすることを心掛けて、1コマ1コマを丁寧に良い意味で適当に臨んだ。

そんな心構えで授業をしていくと、いつしかアルバイトを始めた当初の自信の無さや、心が泣き叫んでいた自分自身のことなんか忘れていた気がした。

たぶん、そんなこと考える間もなく、楽しく授業が出来ていたのだと思う。今となって思えば。

そして、授業をしていて改めて思うことは、生徒の元気さと集中力が凄いことである。本当に彼らは目の前のことにしか集中していない。年齢を重ねていくにつれて、汚れた自分自身を洗い流すかのように過去の成功に固執したり、未来への不安に打ちひしがれそうになったりして、本当に「今この瞬間」を意識することが少しずつ困難になっていくように思う。虚ろな目をして笑って、笑われて、自分自身というものを見失いそうになる時や、不確かな情報に惑わされて、本来やらなければいけないことが出来なくなってしまうこともある。

でも生徒の目は皆キラキラしていて、本当に「今」を精一杯生きている。周りの情報に踊らさせることなく、試行錯誤しながらも、命を全部使って生きている。今を生きることがどれだけ難しいことか、しかしそれを生徒はあたかも「普通」と装って、目の前の課題に全力を注いでいる。

このような光景を見れば、元気を貰えない訳がない。

人が無垢な心で何かに精一杯取り組んでいる姿は、美しくて羨ましい。

最後の授業では、いつも通りを貫いていつも通り挨拶をして帰ってきた。

ちょっとだけ小中学校の卒業式で先生方が涙を流す理由が分かった気がした。

本当に子どもってまだまだ可能性を秘めているなぁと感じる。

無垢な心と子どもの頃のような好奇心を持って生きたいなぁ。

なぜなら、子どもっぽさって割と生きていく上で重要なスキルだと思うから。

今の今まで、生徒たちと10代の貴重な時間を共有出来て、嬉しかった。奪っていないことを信じたい。

もう戻れない悔しさと悲しさは、生きる原動力に置き換わった。

複雑だけど単純で、単純だけど複雑。

心の底から「二度と来ない今という青春を謳歌しろよ~~~~~!!!!!」って叫びたいなぁ。


今までホントにありがとうございました。


ではでは!☆☆☆☆