Gummy Gummy Night Festival

時間を旅する宇宙飛行士

グミが大好きです。よろしくお願いします。

好きな人には好きって言えるように

 今すれ違った人は、どんなことを思っていて、どんな毎日を生きているのだろう。電車の中で隣に座っている人、目の前に座っている人は、どんなことを感じていいて、どんな人生を生きているのだろう。こんな、考えていてもどうしようもないことをよく考えてしまう癖がある。答えのない物思いにふけながら、最終的には、自分に与えられた人生というものに、自分は正直で素直に生きているのかなぁとか考える。たまに、世間は冷たくて残酷だ、社会は甘くない、厳しい世界だなんて、今までの人生を生きる途中で幾度も耳にした、根拠のない誰かの言葉をふとした瞬間に思い返しては、少し目の前が滲んだりする。人は、世間のことを考える時や述べる時、少し離れて一歩引いた俯瞰的な目線で見たり発言したりする。また、時には、自分はこの世界の中心で、自分が軸となって世界は動いているというような、ある種の中二病的思考をもたらすときもあったりする。心のどこかで、自分は他の人より秀でていて、自分は認められた存在であるというような、優越感に浸るときもあったりする。おそらくこういう類の感情は、人間誰しも持っているものだと思う。それは人間に与えられた特権なんだけれど、ときには、他人を傷つけてしまったり、自分までも無意識に傷付けてしまっていることさえあったりする。義務教育とその延長の中で、たくさんの人たちに叩きつけられてきた、物事に対する穿った見方や考え方が、自分の考えの中にウイルスのように侵入してきて、本当の自分を奪われそうになる時がある。こんな考えを持ってしまっている自分が嫌だなぁって思いを心のどこかに馳せながらも、軌道修正できないまま、流されていく。そんな日々の繰り返しが人生なのかなぁって無意識に納得してしまっている自分がいる。そもそも本当の自分って何なんだろう?個性って何なんだろう?一生かかっても答えは出てこない気がする。だって、自分らしさや個性というものは、自ら見出そうとして見出すことのできるものじゃないと思うから。自然と、一種の現象のように、その人から滲み出てくるものだと思うから。生活のなかの、ふとした溜め息のような、友達を遊んでいるときの、ふとした笑顔のような、大切な人が苦しんでいるときに、ふと手を差し伸べられるような、こういう類のものだと思う。こんな一瞬一瞬が積み重なって、自分らしさや個性が滲み出てくるのかなぁとか思ったりする。でも、どうしても、その日の気分や状況で、いつもとは違う自分に変わったりして、そんな自分が嫌になったりして、他人のことを思いやれていない自分が少し惨めに感じるときもある。僕は、友達と遊ぶとき、今友達は、自分と居て楽しいと感じているのかなぁとか、お別れしたあとも、友達にあんな発言をしたけれども、心傷ついていないかなぁとか、友達が発したあの言葉の真意は何なんだろうとか、色々考えてしまう癖がある。こんなこと考えてもしょうがないと分かっていながらも、なぜか考えてしまっている自分がそこにいる。こんなに考え込む自分をたまに、めんどくさいなぁとも思う。でも考えることは、決して無駄じゃないって信じている。どこかできっと役に立つときが来るって信じている、そして、こんなにも考えている自分のことを、自分で、これが自分らしさなのかなぁと、思ったりもする。その反面、こんなことはみんながみんな考えていることで、ごく当たり前のことだから、自分は没個性なのかなぁとも考えたりもする。だから、冒頭でも述べたけれど、こういう考えが巡り巡って、街行く人々の頭の中を色々妄想したりしてしまっているのかなぁって思う。答えのないことを空想することは楽しい。おそらく一生死ぬまで、考え続けるんだろう。考えることを止めたら、人間じゃなくなる気がする。ロボットになってしまう。でも、そんな人も一種の個性なのかなぁとも思う。何が正しくて、何が間違いかなんて、人生にはそんな概念はないけれど、それでも、やっぱり、自分の心には一生素直でいたい。小学校の頃はなんて素直だったんだろうって、今でもよく思い返したりする。探究心や好奇心を忘れないように、楽しいときは楽しいって、苦しいときは苦しいって、好きな人には好きって、魂から素直に言えるように。

 

 

今年も残り1カ月。早いなぁ。

 

 

ではでは★★★★