Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

自分+α薬

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「もし、ご通院されている病院がありましたら、こちらにご記入下さい。」
「今、心療内科にご通院されているんですよね...?」
「脈が早いので、心臓のお薬出しておきますね」
 
...全部嘘だ。嘘だ、って叫びたい。でもほっぺをつねっても痛いからこれは紛れもない現実。逃避できない。
 
人々はみんな、日々暮らしているなかで、様々な目を背けたくなるような出来事やニュースに出くわす。


病気、殺人事件、自殺、自然災害、その他私たちの身の回りで起こる辛いこと。でもそれを私たちは、その出来事を聞いている時だけは、胸の底を痛くして、実際心の中では、“私には起こりえない・関係ない”って思ってる。私が当事者になるはずなんか絶対ないって思ってる。というか、そう思わないと、この現実に耐えられないし、自分を保っていられない。だって人はみんな必ず最後には“死ぬ”ことを分かっていながらも、日常生活では、病棟のベットで、悲しい顔を浮かべてる親族に見守られながら、自分が死んでいく姿を想像しない。もしかしたら、想像しないように、神様があらかじめ脳にプログラミングしているのかも知れない。
 
でもプログラミングに逆らって、実際、死んでみたら案外、楽になるのかもしれないね。1人くらい死んでも誰も悲しまないよね。“アイツ死んだんだ”、くらいに思われるだけだよね。死んだことなんて、他の人にしてみれば、一瞬の悲しみで、時間が過ぎれば、何事も無かったかのように暮らすんだよね?分からないけれど。
 
若者の死因の1位が「自殺」っていうのは、感覚的になんとなく分かる気がする。
 
人は自殺するとき、1人でも首を吊ったり、包丁を胸に突き刺したりすれば死ぬことは出来る。でも孤独な状態で死んでしまうと、死んでから、他の人に、「あの人亡くなったんだなぁ」っていうように、過去に“消えた”ことしか頭に残らない。だったら、もっと多くの人巻き込んで、出来るだけ迷惑をかけて死んでやろうって思うと思う。手段なんていくらでもある。駅のホームで電車に飛び込むのもあり。踏切の音が鳴ってる最中に、電車が来るタイミングと同時に飛び込むのもあり。人が集まる商店街や歓楽街で車を暴走させたり、包丁を持ってその場を真っ赤に染めてもいい。こうやって、多くの人を巻き込んで、刑務所に入る前に自殺することで、大きなニュースとなり、たくさんの人の心に重くて深い傷が刻まれると思う。犯罪者の思考ってこんな感じなのかなぁ。妄想で想像しかないけれど。
 
人は辛くて考えが行き詰まると“サイコパス”になれる気がする。でも、そんなぐちゃぐちゃな思考の中にも希望は少なからずあって、それが何らかの形で、生きる勇気に繋げてくれているのだと思う。生きる希望は何だっていいと思う。だから僕は零れ落ちた微かな光だけでも、掬って生きていきたいな。難しいね、“生きる”って。


 
ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございます。

 

深く考えずに、ありのままの自分で生きたいなぁ。