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人は死ぬとどうなるのか考えてみた

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皆さん、こんにちはこんばんはfloatです。




突然ですが、皆さんは、人は死ぬとどうなると思いますか?


この問いは、人生を生きる上で究極の問いであり、究極に考えるだけ無駄な問いでもあります。


考えたところでコレといった模範解答がある訳でもなく、納得する答えは誰も教えてくれませんし、知ってもいません。


自分の中で、「もしかしたらこうなるかも知れない」という曖昧な妄想と想像の中で右往左往するしかありません。


それがまた哲学の面白いところでもあります。


また、夜寝る最中に、「布団の中で考えてはいけない考え事ベスト10」というものがあれば、間違いなく上位に君臨してくるとさえ思います。


というわけで、今回は勝手な妄想と想像で「人は死ぬとどうなるのか」という問いに対して精一杯考えていきたいと思います。




始めに人間という生き物は、とても不思議な生き物で、生きているという当たり前の事実に疑問を抱きながら生きています。


何故生きているんだろう。生きていく意味ってなんだろう。自分ってなんだろう。こんな答えのない自問自答を日々繰り返しながら、鳴り止まない太陽と共に今の連続を生きています。


それは人間に、他の生物にはない「心」というものがあるからで、私たちは「心」があるからこそ、生きていく意味や、生きている意味などを考えることが出来ると思うのです。


人間と心は表裏一体となって、私を私として生かせてくれています。


生きている意味や、生きる意味を考えてしまうのは、心が無意識的に「死」というものを考えてしまっているからであり、私たちが生きていく上で切り離すことが出来ません。


人間はいつか必ず死ぬことを分かっているからこそ、今生きていることに対して不安を持ったり、自分の存在意義などを考えてしまうと思うのです。


しかし、いずれ私たちは死ぬことを分かっていながらも、無意識に命は永遠に続くものだと思い込んでしまっています。これはとても不思議なことで、大学の哲学に関連した科目の講義を履修した際に、先生から「何故私たちは、命は永遠に続くものと思い込んでいるのか。」という問いを投げかけられ、自分自身とても考えさせられた記憶があります。


おそらく、命は永遠に続くものだと思い込んでいないと、今を楽しく生きることが出来ないからだと僕は思います。命は永遠に続くけれど、死は必ず訪れる、この矛盾の中で生まれる、生きる意味とは何か?死ぬとは何か?といった膨大で答えのないな自問自答を繰り返すこの行為があるからこそ、人生は儚くあり、また美しくあるのだと思います。




死ぬとは何か?という問いに答えるためには、まず生きる、生きているって何か?という問いに答える必要があると思います。


生きてるって何だろう?


何をもって僕/私は生きてるって言えるんだろう。


心臓が動いているから生きてる?体があるから生きてる?脳があるから生きてる?私がここに存在するから生きてる?


もしかしたら生きてないかも知れない。私は今生きてると思い込んでるだけかも知れない。目の前の現実が実は全て偽物で、どっかの誰かが勝手に脳内に映像を送っていて、その映像を見せられているだけかも知れない。深堀していくと怖いですけど、逆に面白かったりもします。


もう、僕は今ここに存在しているから生きてるってことで良いかも知れません。考える脳と心があるから生きてる。


「我思う、故に我あり」


素直にデカルトの考えに従っても良さそうな気もします。


今私はここに在る、そしていつかいなくなります。


また私たちは「死」に対して、めちゃくちゃ怖いイメージを抱いていますが、一度も経験したことがないのに、このような感情を抱くのか不思議でなりません。


死ぬこと=自分がいなくなること、と勝手に解釈してしまっているからでしょうか。または、他人の「死」の経験があるからでしょうか。


死―いなくなる―悲しい―寂しい―切ない―自分にも起こる―逃れることは出来ない―怖い―恐ろしい、こんな感じの流れでしょうか。


臨死体験をした人の話など、ごくたまにメディアなどで見かけますが、皆さんの話の内容に共通して見られるのが、「死は怖いものではなく、美しいもの、素晴らしいもの」といったように、幸福感や今まで生きてきた意味を感じさせるものであると感じます。


臨死体験ググると様々な意見が出てきますが、こればっかりは答えはありません。もう幽霊にインタビューするしか方法はないでしょう。


また死んだ瞬間は、何秒かまだ意識が残っており、耳は聞こえているという嘘かホントか分から噂をどこかで聞いたことがあります。


というかそもそも死を経験している本人は、今自分は死んでいるということを自覚しているのでしょうか。謎は深まるばかりです。


僕の考えでは、まず死んだら、その瞬間に私は、死んでいる自分の姿を第三者からの目線で見ている状態にシフトチェンジすると思うのです。


ここで初めて自分は死んだのだと自覚すると思います。いわゆる幽体離脱的なやつです。


が自分を見ていると言っても良いかも知れません。


そしてその魂は輪廻転生の準備へと移行していくと思います。


輪廻転生の準備期間に今までの人生の記憶は全て抹消され、ゼロからまたスタートし直すのだと思います。


そして生まれた赤子の脳や体となり、人生をまたスタートさせていくのだと思います。


なので私たちは、実は何度も何度も輪廻転生を繰り返していて、死ぬ時に記憶が全て抹消されるから、これが私の初めての人生だ、人生は一度きりだと綺麗事を並べるのだと思います。実はその考えは前世でも、前前世でも、前前前世でも脳内で繰り広げられているが、死ぬと記憶が無くなるので、何度も考えてしまうのだと思います。


またこれは、ちょっと前に述べた、「人は何故「死」を経験していないのに「死」に対して怖い/恐ろしいという感情を抱くのか」の問いに関連してきます。


つまり、死=怖いもの、という記憶だけは、前世で死ぬときに残っているから、私たちは無意識に怖いというイメージを持ってしまうのだと思います。


また、たまに前世の記憶があるという人もメディアで見かけられます。これらの人はおそらく、前世で死んだ時に、記憶が全て抹消されずに残った記憶が現世に受け繋がれてしまっているのだと思います。死ぬ時に起こる一種のバグ的なものだと僕は捉えています。


なので、私たちは、今生きていることは、とても奇跡的で、素晴らしいものだと思っていますが、実は生まれる時から死ぬ時までの人生を誰しもが何回も経験していて、生きていながらにして何回も無意味な自問自答を繰り返しているだけだと思います。


死ぬ時に記憶を全て抹消されているから気付けないだけで、おそらく何回目かの人生です。


なぜかこの部分は自信を持って言えます。根拠のない自信でしかありませんけれど...(笑)




こう考えると、逆に今をもっと楽しくハッピーに生きてやろうと、生きる活力やモチベーションに繋がっていきませんか!?


短期的に見れば、人間一度きりの人生で、長期的に見れば人間生涯不老不死です。


全ては死ぬ時の記憶の抹消にあると思います。


前世の僕に会ってみたいですね。実は来世の僕もすでに生きる準備をしていたりして。


精子卵子に飛び込む瞬間で時間が止まっていたりして。


死んだ瞬間に精子卵子に飛び込み、受精して僕という子どもが生まれて、また新しい人生をスタートさせていたりして。


考えだすとやめられないとまらないですね。某スナック菓子のキャッチコピーみたいですね。


答えのない問いに対して考えるというのは本当に楽しくて、好奇心が燻られますね。


考えることが出来るから、楽しい。分からないから、楽しい。




こうやっていつまでも少年のような好奇心を忘れずに生きていきたいですね。




なんかタイトルの問いに対して、答えになっているか分からないですが、今日はこの辺りで終わりにしたいと思います。




皆さんも、暇があれば哲学的な問いに対して考えてみるのも良いのではないでしょうか。




ではでは!★★★★