Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

 3月も早くも中旬になって本格的に季節が移り変わっていく。僕は“春”という曖昧な季節が大好きだ。春から連想される言葉の中でパッと出てくるのは“卒業”という2文字だ。この時期になると無意識的にYouTubeで卒業ソングを聞いている自分がいる。ダイヤモンドの原石のようにキラキラと輝いていたあの頃を思い出すと、自然と涙が出てくる。毎日授業があるのが当たり前で、時には面倒だな、眠たいなと思いながら授業を受けていたけれど、今となってはそれが全て当たり前じゃなかったんだと気付かされる。そしてそんな感情は“懐かしさ”となって脳内に沸き起こってくる。二度と戻ってこない魔法の時間が走馬灯のように脳内を駆け巡る。時間は止まってくれないから、全ての出来事は過去に収束する。過ぎ去ってしまった過去は、何かを失ってしまったように、誰かを失ってしまったように、少なくとも僕はそう感じる。もう取り戻せないんだって思うと、その悲しさや寂しさの穴を埋めるように、言葉を紡いで埋め合わせる。そんな過去に埋め合わせた言葉の数々を、もう一度掘り起こして、その輪郭をなぞる作業が僕は“懐かしさ”なのかなって思ったりする。学校という場所は、価値観や考え方の違う、選ぶことの出来ない人同士が、何とかして協働し合い、お互いがお互いを裸の心のまま、認め合うところだと思う。義務教育の欠点とまではいかないけれど、こんな風な、ある種の少し偏った考え方で形成された集団の中で過ごした3年間というものは、思春期の少年たちにとっては、人生を形成するといっても過言ではないくらい、大きな財産となる。あの当時に考えていたことや将来のこと、友達関係のことなど、今でも鮮明に思い出せるくらい脳裏に焼き付いている。そして10年近く経った今でも、物事に対する考え方や行動は、あの時の自分と変わらないなあって思うことや、過去の自分に対して羨ましいって感じることもたくさんあったりする。これは僕は、人間はどこか戻りたいって感覚が心の奥底に眠っているから、そう感じるのだと思っている。人間だれしも欲求があって、生きている以上、やはり今とは別のステージ、つまり、“ここではないどこか”に行ってみたいという欲望がある。だから僕はよく、過去の自分に戻るように、記憶の生い茂った森の中を、“懐かしさ”という“ここではないどこか”を目指して詮索するのだと思う。言い換えると、過去に戻りながら未来へ思いを馳せるような感覚に近い。「過去に戻る」という感覚と、「未来へ想いを馳せる」という感覚、言葉の羅列だけ見ると、真逆のことを言っているように見えるかもしれないけれど、とても密接に繋がっていて表裏一体なんだって気付く。また一見すると、プラマイゼロのような感じがするけれど、必ず大きくて小さな一歩を踏み出していると僕は思う。だけど、たぶん、傍から見れば、何も考えていなくて、何も成長していないように見えるし、実際に人に面と向かって言われたこともある。でも、いくつになっても“懐かしさ”に浸ることは止められないような気がする。むしろ年を重ねていくにつれて今よりもっと“懐かしさ”に浸る時間が多くなる気さえしている。春が来ると、毎年こんなことを頭の中が駆け巡っている。まだまだ心は子どものままでいたい。綺麗なものはきれいだって素直に言いたい。美味しいものは素直においしいって言いたい。最近はずーっとお花見がしたいなって思っているけれど、まだまだ桜はつぼみのままだったような気がする。花びらが舞い散る桜並木の下で、他愛もない話を永遠としてたいなあ。それだけで幸せって思えるから。

 

ではでは!☆☆☆☆