Gummy Gummy Night Festival

時空を旅する

よろしくお願いいたします。

よく分からない絵を描いたら、よく分からないことになった

いろはすって何で無色透明なのに味がするんだろう、と不思議に思っていたら、いつのまにか日が暮れていた。

 

もも、みかん、なし、いちごミルクとか、色んな味のいろはすを飲んできたけれど、未だに透き通った透明な水になぜ味が付いているのか分からない。それに、液体に「いろ」がついていないのに「いろはす」という名前なのも謎だ。せめて「いろ」をつけてほしい。でも「いろ」をつけたら、それは「いろはす」じゃなくなる。いろはすパラドックスだ。

 

こんなことを考えながら、いろはすの横に目を移すと、そこには6枚切の食パンがあった。そもそも食パンと言う名前、これは「主食用パン」の略語らしいが、逆に食用じゃないパンなど存在するのだろうか?食べれないパン?フライパン?謎謎?

 

僕の半径1メートル以内には、色んな不思議が潜んでいる。僕は考え過ぎてお腹が空いたから、食パンの袋から食パンを取り出した。紛れもない食パンだった。子どもの頃から食パンは食パンの形を変えることなく、ずっと食パンとして居てくれている。食パン、すごい。

 

ここでまた一つ、疑問が浮かび上がってきた。「この食パンの袋を留めているプラスチックで出来たこれ、何て言うんだっけ?」僕は、記憶の片隅にある引き出しを探し、すぐに答えに辿りついた。そうだ、バック・クロージャーだ。この何か特徴があるようで特徴がないこの留め具。デザイン、形、色、すべてにおいて満点だ。食パンをおいしく食べられるように、バック・クロージャーは、ちゃんと食パンを密封してくれている。まさに縁の下の力持ち、いや、もしかしたらコイツが主役説まである。

 

ここで、僕はふと、何かよくわからない衝動に駆られてこう思った。

 

 

「絵が描きたい」

 

 

そう、絵。鉛筆でデッサンとかじゃない。パソコンで絵を描きたい!

 

皆さんもこういう経験ないですか?なんか急にある特定の何かがしたくなること。急に柿ピーが食べたくなったり、ジグソーパズルがしたくなったり、GO!皆川のモノマネがしたくなったり、ありますよね?

 

早速僕は、パソコンに元から入っているフリーソフトであるペイントを立ち上げ、バック・クロージャーを机の上に置いて、マウスを小刻みに動かしながら絵を描き進めていく。おそらく人生でこんなにもバック・クロージャーをまじまじと見たことは一度もないだろう。もしかしたら、これが最初で最後のバック・クロージャーガン見だろう。そう思うと、とても光栄で輝かしい。おめでとう、自分。

 

歪な形をしたバック・クロージャーに虜になってはや30分。ようやく完成が見えてきた。あとは細かい修正をして…ついにバック・クロージャーが完成した。

 

それがこちら。

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我ながら上手くないですか!?

 

自画自賛党の人たちからも絶賛の嵐のこと間違いないでしょう。細かい凹凸の部分が一番苦労したけれど、一番苦労したのは、無意識に浮かび上がってくる「僕は今何をやっているんだろう?」という自問自答から一刻も早く逃れる方法を考えることだった。これでもやはり絵を描いている時間は無心になれるし、なにより楽しい。

 

バック・クロージャーを描いたことで、さらに僕の絵を描きたい欲が掻き立てられた。いつのまにか僕は、何か他にも絵を描きたい、そんな欲望にまみれていた。

 

絵が描ける対象となるアイテムは他にないか?そう思い、狭い部屋の中を歩きまわる。1周、2周、3周、何往復かするとあるものに目がとまった。そう、テレビのリモコンだ。

 

いや、でもちょ待てよ。心の中のキムタクが叫ぶ。このリモコン、めっちゃボタンあるし、さすがに全部描くのはアホなんじゃないか?そう思い、僕はどれかのボタンをピックアップして、それを描こうと思い立った。電源ボタン、決定ボタン、入力切換、早送り…リモコンをまじまじと見るとたくさんボタンがある。リモコンも近い将来、スマホみたいにタッチ操作できるんだろうか。こんなにボタンがあったら、どれを押したらよいのか分からなくなって、テレビを見る気が起きなくなるかもしれない。これがもしかしたら、若者のテレビ離れの根本にある問題なのではないか、とすら思ってきた。

 

リモコンを15秒くらい眺めた後、何をペイントしようか決まった。さあリモコンの中で栄えある僕に選ばれたボタンは一体誰なのか?

 

これはこの人だ…!

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音量ボタン!なぜ音量ボタンが選ばれたかって?それは誰もしらないし、理由なんてない。ちなみにペイントの候補に選ばれたのは「電源ボタン」と「決定ボタン」だ。なぜなら電源ボタンは、リモコンの代名詞ともいえるべきボタンで、このボタンをプッシュしなければ、まずテレビを起動することができないからだ。そして次の候補は「決定ボタン」。こちらのボタンも録画や場面切り替えなど、テレビの基本的な操作をする上で欠かせないボタンだ。じゃあ、なんでこの2代巨匠を抜いて「音量ボタン」を選んだかって?それは、愛だ。それ以上も以下もない。愛にできることはまだあった。

 

僕はもう完全にペイントに夢中になっていた。それは夏休みに虫かごと虫取り網を持って公園に行った時のように、食べ放題のバイキングでから揚げとポテトを大量に皿に乗せた時のように。

 

絵を描く妖怪と化した僕は、ついに財布の中をガサゴソと漁りだす。財布の中は色々なものが入っている。お金にカードにレシートに期限切れの割引券。今の生活はスマホと財布だけで十分生きていける。だから、もし財布を落としてしまったらと考えると、それはそれはもう激おこプンプン丸。部屋中を暴れまわって、ハンガーを頭にはめて、「あ~頭が回る~~」と言って、本当に頭が回っていないことを体で表現するだろう。僕だけにしか分からない苦しみと悲しみと罪悪感と容赦ない切迫感に打ちひしがれることになる。

 

そんなことを思いながら財布の中を見ていると、とあるアイテムにたどり着いた。おそらく皆さんも一度は見たこと、使ったことがあるだろう。持っていない人でも、名前は聞いたことがあるのではないだろうか。

 

そう、このカードだ。

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すごく目立つ色でTという文字がカードで表されているこのカード。名称は、見たまんまで「Tカードだ」。おそらくこのカードを見たことない人に「これはなんという名前のカードでしょう?」と問いかけたら、考える余地も与えないくらい条件反射的にパッと「Tカード!!」と答えるだろう。なぜならそれはすでに私たちのDNAにTカードの文字が刻み込まれているから。DNAの塩基配列であるA,G,T,CのTはTカードのTだったのだ。

 

チョコレートプラネットも瞬間的に反応するくらい有名なカードは、僕の心をいとも容易く盗んでいった。ちなみに僕はコンビニで買い物をするときに、店員さんに「Tカードはお持ちですか?」と聞かれたときは、Tカードを出すときのほうが多い。おそらく出す・出さないの割合は6:4くらいの気がします。皆さんは出しますか?出しませんか?

 

Tカードを模写し終えた僕は、まだまだ絵を描く欲望は枯れずに、むしろ若干疲れてきた身体が逆にエンジンをかけている。いわゆる、フローの状態に突入しつつあった。次で描くのは最後にしよう。そう思って僕は再び、ペイントに描くアイテムを探し出す。

 

そして僕は、ついに運命的な出会いをしてしまった。君が…まだいた….。あの時、救えなかった女王様が、長年の時を経て、目の前に現れたような。それは、インスタントのスープとかを収納する場所にいた。なんで今まで気づかなかったの?そう言われても仕方ないような、あの時、一生愛するって言ったじゃんって言われたときのような。これはもう壮大な人生のストーリー。ドラマチックでロマンチックでセンセーショナルな物語。

 

そう、君の名は。

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ブレンディースティック。なんて美しんだソナタは。冬のソナタって、主役はもしかしたらペ・ヨンジュンじゃなくて、ブレンディースティックのことだったのかもね。ネスカフェアンバサダーやバリスタも嫉妬するくらいアナタは美しい。

 

もし「The Bkendy stick」ってロックバンドがいたら、ピアノやバイオリンを取り入れた、すごくオシャレで落ち着いた系のサウンドを鳴らすだろう。一部のファンからは「ブレスティ」っという愛称で親しまれているらしい。雰囲気の良い喫茶店やバーなどでは、「私最近、The Bkendy stickってバンドにハマってるんだ~」「えーそうなの!気になる!!どんなバンドなの?」「ブレスティはねー、聴いててすごく心地よくて、何よりボーカルの人が超イケメンなの~!!」っていう会話が聞こえてくるだろう。

 

ワンマンライブでは、会場内にコーヒーの香りを漂わせなど、お客さんを楽しませるような工夫が見られるらしい。今一番勢いがあるロックバンドだ。

 

3時間くらいブルーライトを浴びながら、絵を描き終わって僕は、ムスカ大佐ほどではないが、目がめちゃくちゃ疲れきっていた。そして僕はガムのボトルを開け、ガムを噛んだ。

 

そして、ガムを噛みながら、机の上のいろはすを眺めて、「なんでいろはすって「いろ」がないのに「いろはす」って名前なんだろう?」という疑問を浮かべていた。

 

あれ、これはデジャヴ…..??

 

ファンタスティック~~~~~!!!!!!

 

あたりめを食べました

「なにか硬いものが食べたい。」

 

そう思い立ったのは夜の23時30分。

 

僕は色んなお菓子が収納してある、お菓子ボックスに手をのばした。

 

夜の23時過ぎにお菓子ボックスをあさるその姿は、おそらく傍から見れば、なんとも滑稽な姿に見えていたことは間違いないだろう。

 

何か硬いものが食べたい、そんな欲望はとどまることを知らずに、僕はお菓子ボックスをのぞき込む。

 

ガサガサ、ゴソゴソ。

 

ポテトチップス、これはサクッとした食感で、硬い感触とは程遠い。

 

カントリーマアム、これはクッキーの柔らかいバージョン。絶対にしっとりしている。

 

飴ちゃん、いや、これは硬すぎる。というか飴ちゃんは本来舐めるものだ。しかしある程度口のなかを転がしていると、少しずつ小さくなって、もういい!という謎のタイミングでガリガリと噛んでしまう。いや、僕の求めている「硬さ」とはこういう工程を経て得られるものではない。もっとこう、今僕は硬いものを食べている、という、それだけが欲しいのだ。

 

たとえば、ジャンキーなものが食べたいというときに、すぐにお肉にかぶりつくような、甘いものが食べたいときに、すぐにホールケーキを頬張れるような。こんなふうに需要と供給がすぐに隣にあるような、僕が求めているのはこういうのだ。

 

気が付いたら僕は、硬いものが食べたい妖怪と化していた。その名も「妖怪カチコチ小僧」。きっと河童もぬらりひょんも、僕を見た瞬間に逃げ出すだろう。

 

お菓子ボックスに穴が空くまで漁っていると、やっと望んでいたものにたどり着いた。そう、「あたりめ」だ。僕にとっては大あたりめ。誰がなんと言おうと大あたりめ。

 

途中に現れたポテトチップスやカントリーマアムからの誘惑に負けることなく、僕は僕を貫きとおしたのだ。人間たるもの、やはり欲というものは計り知れない。暴走した欲望に抗えるものは、この部屋には一人もいないのだ。

 

あたりめを握りしめ、僕は右から左へと封をあける。ちゃんと中身が入っていることを確認して、あたりめを1本、袋から取り出す。そしてそれを口に運ぶ。この間、わずか5秒。

 

僕はすべての思いを、あたりめの咀嚼に込めた。噛めば噛むほどに、あふれ出る旨み、そして唾液。欲望に塗れたものだけが実感できる快楽、達成感、罪悪感。それらすべてが、この咀嚼に投影される。

 

おいしい。あたりめっておいしい。こんな小学生の作文みたいな感想を述べて、また1本、また1本と、あたりめを消費していく。乾燥されたイカの加工食品が、僕の華麗な咀嚼によって柔らかい塊となり、胃に運ばれていく。

 

あたりめを狂ったように咀嚼していると、途中であることを思った。

 

それは「お酒が飲みたい」だった。

 

僕は、少し前までおつまみというものがよく分からなかった。枝豆とビールと言われても、ふーん、それは合うの?と少し半信半疑な気持ちを抱いていた。

 

でも最近になってようやく、もしかしたら合うのかもしれない、と思うようになった。飲み会や宴会などで飲むビールの類とは程遠いかもしれないけれど、少しだけその感覚が分かるようになってきたのだ。これはまさに成長というやつなのかもしれない。大人になったね。

 

しかし、お酒が欲しいといった、ささくれのような欲望は、硬いものが食べたい欲望にはかなうはずもなく、冷蔵庫に足を運ぼうとしなかった。硬いものが食べたい欲が10だとしたら、お酒が飲みたい欲は0.2くらいだっただろう。僕の左目の視力よりも小さいから大した欲望ではなかったとおもう。

 

あたりめを食べる時は、決まってお酒とセットで食べのが僕のなかでは定石とされている。しかし僕は、お酒を最寄り駅に設定しなった。なぜだろう?それはたぶん、本当にただ硬いものが食べたかっただけなのだろう。それ以上も以下もない。

 

じゃあ何でそもそも硬いものが急に食べたくなったのだろうか。夕食は普通にご飯とかお肉とか野菜とか食べた。決して豆腐やこんにゃくだけをひたすら食べていたわけではない。

 

硬いものを食べることによって、何か刺激を得たかったから?凝り固まった頭を咀嚼することによってほぐしたかったから?前世がイカだったから?たぶん、正解はなくて決まった答えもない。感情を切り取ってスライドガラスにのせて顕微鏡で見ても、そこに明確な答えは見えないはず。

 

おそらく、硬いものが食べたかったから、硬いものが食べたかったのだろう。まったくもって意味が分からない。

 

こんなことを考えているうちに、時間が経つにつれ、飽きてきて、そっと僕はあたりめの袋を机の上に置いた。快楽はすべて摩耗して、そこにはただただ「虚無」ができあがっていた。

 

ありがとう、いか。欲望に付き合ってくれてありがとう、いか。また会おう、いか。

 

 

人生で初めてタピオカを飲んだ

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皆さんはタピオカという飲み物をご存知でしょうか?

 

そう、最近、中高生のあいだで大ブレイクしているあれだ。

 

たちまち、タピオカ屋さんを見かけるたびに、行列ができている。それは、ディズニーのアトラクションの待機列のように、通りすがる者をぎゃふんとさせる。

 

そして日本人たるもの、行列ができているお店を見かけるとなぜか無性に気になってしまう。

 

何かに操られるように、ふと気づけば、僕は行列に並んでいた。看板にはタピオカという4文字が羅列している。

 

なんだろう、タピオカって。

 

なにかしらの飲み物であるということ。そして、タピオカは、普通のドリンクとは違い、直径5ミリくらいの丸くて黒い粒のようなものが入っているということ。

 

これくらいの知識しか頭にない。

 

人間たるもの、初体験というのはとても緊張するけれど、とてもワクワクする。

 

そんな無意識下で働く欲望が、僕を行列に向かわせる。まだ見ぬ未知のドリンクに僕は手を伸ばそうとしているのだ。それはある意味、狂気である。

 

昨今の日常は情報でありふれている。

 

おそらくブームやトレンドといった類のものは、こうした未知の経験を求めたがる人たちが、こぞって作り上げるものなのだろう。

 

拡散が拡散を呼んで、細胞分裂のように爆発的に情報が広がっていく。その結果できあがった構造が、今の現状なのだろう。そしてタピオカという名前に少しかわいらしさがあるから、女子高生を中心に人気を集めているのだと思う。


確かに、タピオカって口に出すと気持ちいい。

 

とくに「ピ」っていう半濁音が、さらに可愛さを増している。

 

僕はタピオカという飲み物のことが増々分からなくなった。

 

何がタピオカなんだろう?

 

何をもってタピオカ何だろう?

 

そもそもタピオカって何だろう?

 

 

疑問から生まれる疑問が頭の中を右往左往する。

 

そんなことを考えて何になる!

 

僕の中の僕がそうささやく。

 

確かに言われてみればそうだ。タピオカの正体を知ったところで、僕はタピオカを愛することしかできないのだ。もうすでに行列に並んでいるのだから、引き返すことはできないのだ。

 

「タピオカって何だろう?」という問いかけは、「私たちはなぜ生きているのだろう?」という問いかけと同じようなものだ。そう、つまり、必死に考えて答えが出るような問いではないのだ。

 

生きているから生きている。タピオカも同じように、タピオカだからタピオカなのだ。

 

それ以上でも以下でもない。そう、タピオカがタピオカとして、ただただそこに存在しているだけなのだ。ハイデガーニーチェも考えない。イデア界にもタピオカなんて存在しなかったはずだ。

 

そう、すべてはこの情報化社会が作り上げた虚構に過ぎないのだ!

 

進む行列、焦る僕。

 

さあ、どうする?

 

僕は真正面からこの勝負に挑みたいと思った。

 

そこで僕はメニュー表を見た。

 

ふむふむ、なんだこれは・・・

 

これがタピオカの世界か・・・

 

ディズニーの世界では、園内に落ちているごみは夢のカケラとして言い伝えられている。それはタピオカも同じだ。揺るぎない真実にたどり着けないまま、僕はとうとう会計レジまで来た。

 

「抹茶ミルクをひとつください...。」

 

まるでカフェで普通にコーヒーを注文するときみたいな静寂なトーンで、定員さんにお願いした。

 

ついに、概念としてのタピオカが現実としてのタピオカに変わるときがきたのだ。

 

「はい!お待たせいたしました~!」

 

元気な店員さんの声と同時に、注文したタピオカが手元にやってきた。

 

 

これが、タピオカ...。

 

 

残酷なほど丁寧な感情が脳内からほとばしる。

 

人間って不思議なもので、本当に驚くときって意外と冷静だったりする。今まさにこの経験が目の前で起きている。

 

当たり前のように、以前からずっと飲んでいたかのように、僕は妙に太いストローと容器の中に沈殿する謎の黒い粒々を眺めながら経験と未経験の瀬戸際を何度も行き来していた。

 

果たしてどんな味がするのだろう?

 

僕は恐る恐る、ストローに唇を近づけた。

 

まずは、抹茶ミルクがストローを通じて、僕の喉を潤してくる。

 

 

そして、待ちに待った瞬間が訪れる。

 

 

 

そう、例の黒いつぶつぶだ。

 

 

 

ストローから透けて見える黒い謎の球体。

 

 

スーパーボールが跳ねる速さで、僕の口の中に入ってくる。

 

 

チュルッ!

 

 

この瞬間、何かと何かが繋がった。

 

 

概念が現実へと変わったのだ。

 

 

あっ!

 

 

これはタピオカだ。間違いない。まぎれもないタピオカだこれは...。

 

 

夏の暑い時期に田んぼのあぜ道を自転車で全力疾走したあの日のような。


心地よい風で風鈴が鳴って、縁側で緑茶とスイカをおばあちゃんと食べたあの日のような。


人工知能が世界を舵取り、AIに人の感情までもすべて見透かされたあの日のような。


空を飛ぶ自動車がまだ発達していなかったころは、ガソリンという燃料があったなあとおもむろに嘆くおじいちゃんのような。

 

そうだ、まだ経験していないことを僕は今、経験している。

 

未来が過去になった。

 

見つかったダークホールも、今では鮮明に撮影できるようになっていて、それにともない、宇宙開発事業も爆発的に飛躍して、とうとう「そうだ、ダークホールへ行こう」といった広告まで見かけるようになった。

 

 

チュルッ!チュルッ!チュルッ!

 

 

鳴りやむことない拍手喝采が、僕の口内を刺激する。

 

オーディエンスも満員で、立ち見まで出ている。

 

ああ、これはもう歴史だ。歴史の1ページを今、刻もうとしている。

 

統計学なんかじゃ、とても測りきれない、そんな歴史的瞬間を迎えようとしている。

 

 

地球は青かった。タピオカは黒かった。

 

 

やっと出会えた。タピオカ、ありがとう!

 

 

気付けば、僕のお腹はタピオカで満たされていた。

 

今日もタピオカは色んなところで経済を回している。

 

そう考えると、もっともっとこのタピオカブームに乗っかっていきたいと思える。

 

光の速さを超えるようなスピードで。

 

たぶん、アインシュタインもびっくりすると思う。

 

また飲みたいなあ、タピオカ。

 

希う

シャボン玉が割れる速度のように
夏のそよ風を感じる素肌のように
街中できらめく人の声のように
ふわふわした雲が綿あめに見えるように
主観と客観が行き来するように
思い出がどこかでリンクするときのように

 

チョコレートはとても甘くて、キムチはとてもからい。そんな当たり前の風景を見て感じとったものが、剥製で出来た馬のように、もう動かないものだとしても、私たちには生きているという不確かな実感があるから、なんとなく大丈夫だと思う。

 

なぜ私がここに生まれたのか、ここにいるのかをを問いだすと、連想ゲーム的にあらゆる角度から言語化できないレベルに達して、最終的には、仮説や空想のはざまで置いてけぼりになる。

 

生まれてから今まで、切れそうで切れない細い糸を辿って何が正しいのか分からないままなんとなく生きている。

 

物事はつねに相対的で、人間は何かしらの対象物と比較して、その価値や感情を判断したりする。

 

疑問と情報収集を繰り返して、色んな感情に踊らされながら、めちゃくちゃ複雑に絡み合った日常生活に浸ってゆく。

 

折れ線グラフが急激に落下しないように普通に生きることが難しいけれど、そんな窮地に陥っているような感覚が楽しかったりする。

 

砂時計は一定のリズムで時を刻んでいくけれど、時代は俯瞰的に見れば決して一定のリズムではない気がする。

 

時代というか、そこで取り巻く様々な物事は
もはやそれは自分自身であって、どう足掻いても進んでいく。

 

一定だけど一定じゃないスピードで。

 

子どもの頃は過去から未来へと時間が流れていったけれど、年を重ねると未来から過去へ時間が流れていくような気がするね。

 

たくさんの刺激も大切だけれど、結局はどういう心持ちで行くかのような気がする。

 

できるだけ心から離れないで普通を希いたい~。

「せやかて工藤!」というセリフを一度でいいから言ってみたい

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突然ですが、皆さんは名探偵コナンというアニメをご存知でしょうか?

 

というか逆に知らないという人に出会ってみたいほど、超国民的なアニメとなっている名探偵コナン

 

アニメの主人公は江戸川コナン、本名は工藤新一

 

映画ではいつものように、毒薬を飲まされて小さくなった経緯と近況を説明するのがテンプレートになっています。

 

そして最後に、コナン君の決め台詞である「見た目は子ども、頭脳は大人」「真実はいつも一つ!!!」と言い放ち、本編がスタートする流れとなっている。

 

さらに、名探偵コナンに登場する「西の高校生探偵」と呼ばれている人物が存在する。

 

そう、服部平次である。

 

彼は、大阪生まれ大阪育ちで、生粋の関西弁が特徴的。

 

また唯一、コナン=工藤新一であることを知っている人物なのである。

 

最近では、よく二人でタッグを組み、事件を解決したりしているそう。

 

そして服部平次はよくコナン君に対してこのようなセリフを用いることがある。

 

 

  • 「せやかて工藤!」
  • 「なんやて工藤!」
  • 「もろたで工藤!」

 

 

このようなセリフを結構な割合で口にするのである。

 

嫌でも耳に残ってしまうこの関西弁がギュッと凝縮されたセリフ。

 

一応それぞれのセリフについて標準語で解説しておこう。

 

  • 「せやかて工藤!」・・・標準語で「そうは言っても工藤!」という意味。工藤の意見に反論したりするときに用いられる。
  • 「なんやて工藤!」・・・標準語で「何ですか工藤!」という意味。工藤が言ったセリフに対してツッコミを入れたり、真実に近づきそうになったときに用いられる。
  • 「もろたで工藤!」・・・正確にいうと、このセリフの前に「この勝負」がつくことが多い。事件の真相にたどり着いたときなどによく用いられる。

 

上記のようなセリフはアニメやインターネット上で使用されることが多いため、聞いたことや見たことがある人も多いと思います。

 

しかし実際に、友達と話している日常生活の中で「せやかて工藤!」といったセリフを使ったことがある人は少ないのではないでしょうか。

 

そもそもこのセリフは、周りに「工藤」という苗字の人がいないと言うことすらできないし、ましてや「工藤さん」がいたとしても、「もろたで工藤!」とか「せやかて工藤!」とかを日常的に使う人は、周りからはきっと“アイツはヤバい奴認定”されているに違いない。

 

「周りにいるちょっと変わった人」というメールテーマの深夜ラジオがあったら、真っ先に彼のことをネタにしてすぐにラジオ番組にメールを送るほどだ。

 

今風にいうと「やばたにえん」「マジ卍」と言い換えられる。

 

でも、人生で一度はこの有名なセリフを言ってみたい

 

 

そんな欲望が僕を駆り立てるのです。

 

 

どうしても言いたい「せやかて工藤!」

 

「ヤバい奴」というレッテルを張られることを覚悟してでも、言ってみたいこのセリフが今ここにある。そう、真実は一つなのである。

 

人生20年ちょっと生きているけれど、未だに「工藤」という苗字の持ち主に出会ったことがない。

 

ちなみに皆さんは周りに「工藤さん」はいますか?個人的な感覚ですけど、意外といそうでいなくないですか工藤さん。

 

いっそのこと、道で出くわした人に「あなたは工藤さんですか?」と声をかけようと思ったのですが、さすがにやばたにえんが度を越えているような気がしたので一人で籠ってインターネットを活用したいと思います。

 

…ということで、果たして日本で「工藤さん」はどれくらいの人数存在しているのか調べてみることにしました。

 

日本全国の「工藤さん」を調べてみる

 

その前に、日本全国の苗字ランキングが出てきたので、1~10位まで発表していきたいと思います。

 

  • 1位 佐藤さん 約188万7000人
  • 2位 鈴木さん 約180万6000人
  • 3位 高橋さん 約142万1000人
  • 4位 田中さん 約134万3000人
  • 5位 伊藤さん 約108万1000人
  • 6位 渡辺さん 約107万人
  • 7位 山本さん 約105万7000人
  • 8位 中村さん 約105万1000人
  • 9位 小林さん 約103万4000人
  • 10位 加藤さん 約89万2000人

引用:苗字由来net

 

だそうです。

 

ちなみに1位の佐藤さんは日本全国に約188万7000人いるらしいですね。

 

日本の人口が約1億2000万人だとすると、その中に佐藤さんは0.015725%です。

 

つまり100人に1~2人くらいが佐藤さんなわけです。

 

 

え、単純にすごくないですか…??

 

 

話が脱線しましたが、ここでの本題は「工藤さん」の順位です。

 

 

さて、工藤さんは…73位!!!!!

 

 

個人的にはもっと下位にいそうな感じもしましたが、意外と上位に君臨していますね。

 

ちなみに日本に「工藤さん」は約21万6000人いるそうです。

 

日本の人口が約1億2000万人だとすると、その中に工藤さんは0.0018%です。

 

つまり1000人に1人くらいが工藤さんなわけです。

 

なので「せやかて工藤!」というセリフを言うためには、すれ違う人たち1000人に「あなたは工藤さんですか?」と聞いて、その中の見つかった1人と長い年月をかけて友達になり、ため口で話せるような親友になった工藤さんとの会話のなかで、少しユーモアに反論するタイミングを見計らってやっとこのセリフが言えるわけです。

 

どこの都道府県に「工藤さん」は多くいるのか

 

このようなことをしていたら人生何年かかるか分からないので、もっと深堀りしていきましょう。

 

日本全国に約21万6000人いる工藤さんは、どこの都道府県に多く存在しているのか見ていきます。

 

以下は都道府県別「工藤さん」ランキングです。

 

引用:苗字由来net

 

パッと見た感じ、九州地方の一部、また東北地方や北海道地方に多く「工藤さん」が住んでいることが分かりました。

 

 

ちなみに「工藤さん」が最も少ない都道府県は鳥取県で約30人だそうです。

 

そのため鳥取県出身で「せやかて工藤!」を言いたいと思っている人は潔く諦めましょう。

 

 

てなわけで「工藤さん」は青森県に一番多く在住していることがお分かりいただけました。

 

 もっと深堀りしましょう。

 

青森県のどこに「工藤さん」は多くいるのか

 

以下は青森県の市区町村別「工藤さん」ランキングです。

 

引用:苗字由来net

 

やはり県庁所在地である青森市がダントツで多いようですね。

 

 

しかし1位に次ぐ弘前市も負けてはいません。

 

ちなみに青森県青森市の人口は28万5000人なので、その中で工藤さんの割合は約0.34%。

 

すなわち100人に3~4人が工藤さんになるわけです。

 

 

恐るべき工藤さん率ですよこれ。

 

 

 

というわけで、結論が出ました。

 

 

「工藤さん」に出会って「もろたで工藤!」「せやかて工藤」「なんやて工藤!」というセリフを用いるためには、青森県青森市弘前市でも可)に出向いて、「工藤さん」を探し、友達になるのが一番ベストで手っ取り早い方法ですね。

 

一番高い確率で「工藤さん」と遭遇することができます。

 

青森県青森市に行けって言われても具体的にどこ行けば良いの?

 

たしかに、青森県青森市に行ったところですぐに「工藤さん」は見つからないですよね。

 

 

そこで青森県と言えばやはりねぶた祭りが有名です。

 

 

なので、ねぶた祭りが行われる8月青森県に行って「工藤さん」探しと扮して、大勢の人々と踊ったりしてみましょう。

 

 

おそらく来場者数も半端ないので、祭りのノリ的なテンションで色んな人に話しかけてみましょう。

 

 

「工藤さんが一番多い県」×「多くの人たちに気軽に話しかけられる場所」という確率的・状況的にも最高のコンボが実現し、いとも簡単に「工藤さん」が見つかると思います。

 

工藤さんを見つけたら、明るく灯される人形ねぶた山車のなかで、踊り子たちと一緒に踊って、そして決め台詞「もろたで工藤!」と言っちゃいましょう。

 

 

「この山車、もろたで工藤!」が最適でしょう。

 

 

万が一、工藤さんに「え!?」と聞き返されても「ラッセラー、ラッセラー」と適当にごまかしておけば問題ないです。

 

 

ちなみに踊り子になるためには、「ねぶた衣装」と呼ばれる衣装をレンタルや購入するなどして着用していれば誰でもなれるそうなので、観光者でもそこまでハードルをあげずに参戦することができるらしいです。

 

 

毎年すごく盛り上がるお祭りだそうで、多い時には1台のねぶた山車の周りに2,000人もの踊り子さんたちが取り囲むんだそう。

 

 

僕はねぶた祭りに行ったことがないのですが、凄まじい迫力であることはググって出てきた記事からも大いに伝わってきます。

 

 

てなわけで、

 

 

  • 「せやかて工藤!」
  • 「なんやて工藤!」
  • 「もろたで工藤!」

 

 

というセリフを言いたければ、

 

 

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そうすることでめちゃくちゃ簡単に叶えることができます!!!!

 

 

あれ、名探偵コナンの話をしていたのにいつの間にかねぶた祭りの話になっていますね。

 

 

とりあえず僕はいつかねぶた祭りに行って工藤さんとお友達になりたいと思います。

 

 

それではこのへんで、この記事、もろたで工藤!!

 

 

ラッセラー!ラッセラー!☆☆☆☆